BNW-07  感 謝


【 シュウさん、ありがとうございました。  − 2014.01 上旬 −

2013年11月5日、シュウさんこと三浦秀昭さんがお亡くなりになりました。
亡くなられてから数ヶ月が経ちますが、未だ心にポッカリと穴が空いた感じが続いています。

幾度かの逆風を乗り越え生き続けてこられたので、
誰もが『シュウさんは不死身だ!と感じていたことでしょう。
ココで私なんぞが改めてシュウさんの事をとやかく語らなくてもイイかな?と思いますが
これだけは断言できます!

日本のリレー・フォー・ライフを造ったのは、間違いなくシュウさん(三浦秀昭さん)である!と。

シュウさんとの想い出の写真をアップします。

2006年4月 プレリレーフォー・ライフ会場にて
2007年夏 リレー・フォー・ライフJAPAN2008in新横浜実行委員会にて
リレー・フォー・ライフJAPAN2009in新横浜にて リレー・フォー・ライフ2010in茨城にて
リレー・フォー・ライフ2010in東京にて レー・フォー・ライフ2011in茨城にて
リレー・フォー・ライフ東京2011in駒沢公園にて
レー・フォー・ライフ2012in茨城にて Relay for Life Yokosuka,Japan 2012にて
レー・フォー・ライフ・ジャパン2013静岡にて
レー・フォー・ライフ・ジャパン2013茨城にて
レー・フォー・ライフ・ジャパン2013山下公園にて


シュウさんとの想い出は数多くありますが、その中でも今も強く心に残っている言葉があります。
何時ぞやかシュウさんのブログに私がコメントを書き込んだ際に書かれた彼からの返信内容です。
私が書き込んだ内容自体は覚えていませんが、サバイバーとしてメンタル面で少しマイナスな事を
述べた内容だったと思います。
そこでシュウさんに言われたことは・・・

「ファルモくん、闘病というのは相撲の様なものだ。
土俵際で諦めずに踏ん張って、踏ん張って、最後に残ればいいんだ。のこった、のこった。」


正にその通りだと思いました。
どんなに最悪な状況になろうとも、諦めずに踏ん張って残ればいいんだ・・・。
「のこった、のこった」・・・この言葉が当時から私の心中に強く刻み込まれ
その後もリレー・フォー・ライフを通じて精神面でも強くいられたことが
癌を克服して今残れていることに繋がっているのだと思います。


シュウさんが亡くなられる2日前にお見舞いに伺いました。
薬の副作用で少しもうろうとされていましたが、目力は強かったです。
帰り際に握手してお別れしました。
とても力強い握手でした。
人間として本当に強い人だ・・・と改めて実感させられました。

亡くなられた後、CPSPのホームページは残して管理して欲しいと
シュウさんの遺言みたいなものがRFLの仲間から私宛にメッセージが届きました。

CPSPの活動、ここが正に原点でした。
シュウさん追悼の意味でご覧頂けると幸いです。
↓↓↓クリックしてご覧下さい↓↓↓



シュウさん、勿論このホームページは残していきますよ!
我々が精一杯に生きてきた証ですから!


CPSPの活動から数え切れない程関わらせて頂けたことは
私の人生の中で大きな財産の一つになっています。
今後もリレーフォーライフに参加し続けることでシュウさんを追悼したいと思います。

シュウさん、ありがとうございました。








【 二つ目の命  − 2014.01 上旬 −

昨年の12月14日に次男が誕生しました。

昔の私を知っている人からすると、まさか二次の父親になるなんて!?
・・・と思っている方も多い筈。
そんなの私自信も想像すらしていませんでした。
5、6年前なんかは、サバイバーとして死を見つめ、ある意味覚悟しながら
「どう余生を過ごそうか・・・」なんてセンチメンタルに過ごしていた人間が・・・。

・・・人生何が起こるかわかりません。


命名 柊平(しゅうへい)

我が家の家紋である「柊(ひいらぎ)」を名にしました。
               
柊(ひいらぎ)の葉は、トゲトゲしく触ると痛いため、
古くから魔よけに使われていたといわれています。
これから生きていく上で、多くの危険な事が待ち受けていることでしょう。
守りを鉄壁にすることで、平穏無事に過ごして欲しい・・・
そういう願いから「柊平」と名付けました。

          


大造と共に、精一杯生きて楽しい人生を過ごして欲しいと願います。

















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