DS-26 あの世から 【 私の趣味 】 − 2008.02 中旬 − 昨年末にシュウさんが音頭をとり『リレー・フォー・ライフ横浜実行委員会』が発足しました。 シュウさんよりメールで「ファルモ君も勿論入ってくれるよね?」の一言で 私も実行委員のメンバーに加わる事にしました。(笑) 今までRFLは、2006年のつくばは実行委員として活動し、 昨年2007年の芦屋は一般参加者として参加しました。 つくばの時は右も左も分からない状態からスタートし、何とか本番までこぎ着け、 慌しい中いつの間にか終った・・・という感じであったのに対し、 芦屋は、参加者として純粋にRFLを楽しめ、とても充実した想い出となりました。 同じRFLをやるにせよ、実行委員側と参加者側とではエライ違いになります。(^^; 正直、実行委員をやらずに参加者としてRFLに参加する方が、かなり楽しめる事でしょう。。。 私は「リレー・フォー・ライフ」と聞くと、やはり亡くなった友人のMOMOさんを想い出します。 自分が死ぬ・・・と分かって、「最後に何かやりたい!」という強い想いでRFLに取り組んだ 彼女のひた向きな姿が今も尚、鮮明に脳裏をよぎります。 また、「日本でもRFLを!」という事で頑張られた葉っぱさんも想い出します。 日本でもRFLを行う知識を様々集められ、いつも裏方に回り我々を陰で支えて下さった彼女は 正に日本におけるRFLの母でした。 今年、リレー・フォー・ライフが横浜の地で開催する。 もし、お二人が今も生きていたとするならば、やはりもの凄く喜んで実行委員となり、 めいっぱい頑張られるのだろう・・・と感じました。 誰も凄い事なんかできない、勿論、私も何もできっこない・・・。 でも、できる事をやればいい。。。 一人でも多くの人ができる事をやれば、それが大きな力となり、たいがいの事は上手く行くもんだ。 肝心な事は、そこに強い意志があるかどうか?・・・なのだと思います。 これは実行委員も参加者も一緒です。 RFLに何を求めるのか?という強い意志、または信念めいたものを抱いて行う・・・という事が 重要となり、それがRFLを成功させる秘訣になるのだと実感しています。 できることをやれば良い・・・という事で、私はホームページを作成する事ができるので 先程、リレー・フォー・ライフ新横浜のホームページを完成させ、一般公開しました。 ご覧下さい♪ そして、是非、リレー・フォー・ライフ新横浜へご参加下さい!(^^)/ 何度も言う様ですが、できる事をすれば良いのです。 RFLを行う上で決して無理をしてはいけません。 少なからずも今の日本におけるRFLは、患者が無理を承知で頑張らなければならない・・・ という現実があります。 調子が悪ければ休みながら行う、その代わり調子が良い人が変わりに行えば良い。 患者が皆調子が悪ければ、ボランティアの人にお願いすれば良い。 そうやって実行委員側も参加者側も楽しくやれば良いのです! 私は今、とても体調が良く、そして楽しくRFL新横浜のHPを作成する事ができました♪ 今やリレー・フォー・ライフは私の趣味となったのです! MOMOさん、葉っぱさん、あの世から見てくれているだろうか??? 天国のお二人に喜ばれる様なRFLにしたいな。。。 【 蓮の花 】 − 2008.03 上旬 − このHPでも応援をしていた蓮さんがあの世に旅立たれました。 蓮さんは、古くからのがん患者プロジェクト(CPSP)のスタッフであり、 リレー・フォー・ライフの活動を共に行ってきた仲間です。 私が参加した最初のCPSPのミーティング時、彼女は自己紹介で、 癌が再発し骨転移されている事を語られていました。 私は当時、この方の癌は非常に重い状態である・・・と認識しました。 2006年5月、日本初となるつくばでのリレー・フォー・ライフを行う前に、 横浜市で事前説明会として「リレー・フォー・ライフ日本版を考える会」を行いました。 その時から蓮さんは、CaRAVAN(バンド)のボーカルとして歌を披露されました。 その後、つくば・芦屋のRFLでもCaRAVANは欠かさず出場し、多くの方に元気を与えられました。 頑張って歌われる蓮さんの姿を励みにされていたサバイバーはきっと多かった筈です! そう、蓮さんの歌声はRFLに無くてはならないものになっていたのです。 蓮さんのブログに書かれている「生きザマ」という言葉が、 わたくし的にもの凄くHITしたことから、歌に賭ける彼女の生きザマを拝見しようと CaRAVANの単独ライブに2度程(2006年12月と、2007年12月)行きました。 私も蓮さんの歌う姿に何度勇気付けられた事か・・・。 「蓮(れん)」というHN(ハンドルネーム)は、CPSPやRFLで活動する時のHNであり、 CaRAVANのメンバーとしては「Caorin」と名乗られています。 「CaRAVAN」というバンド名の由来は、「喜びに輝くCaorinを乗せ、夢を運ぶライトバン」。 詳細はコチラ(CaRAVANのHP) → http://www.caravannet.com/Hestry.htm なんて素晴らしいバンド名なのでしょうか! 自分自身、生きていく上でのモチベーションを上げる為、歌に賭ける蓮(Caorin)さん、 それを支えるバグース(ミッキー)さん&バンドのメンバー達、 そしてLazyさん初めとする多くの友人達・・・。 本当に素晴らしい仲間達だと思います! それだけに蓮さんの死は、今まで身近で応援されていた仲間達にとって、私以上に極めて痛感であった・・・と お察し致します。 蓮さんは、15年間癌と闘ってこられました。 15年間癌と闘う・・・という事は、とてつもなく辛い日々の連続であったと思います。 にも関わらず、彼女は私達の前では決して辛い顔ひとつ見せず、元気に歌を歌われ 多くの方達に勇気を与えてくれました。 何が勇気かと言うと、倒れる直前まで歌に賭ける!という事、 そういう命を張った生き方を見せてくれるという事が、きっと勇気付けられた事だったのだろうと 自分なりに解釈しています。 これが彼女の言う「生きザマ」なのかもしれません。 また、蓮さんは「自分に負けない 生きる証を刻む為」にと、右肩に「蓮の花」を彫られました。 詳細は蓮さんのブログを参照して下さい。 → http://sea.ap.teacup.com/caorin/302.html 刺青を入れるという事に関しては、人それぞれ色んな意見があろうかと思いますが、 わたくし的には、蓮さんが刻む刺青の意味にもの凄く共感するところがあり、 純粋にカッコイイ!(←生き方がカッコイイという意味です)と感じるのでした。 歌以外でも彼女の「生きザマ」を拝見できた様な気がします。 前回のライブではあんなに元気だったのに・・・、 4月に行うライブに向けて凄く頑張られていたのに・・・、 それが叶わずあの世に逝かれた事は、非常に残念でなりません! 誰よりも蓮さん本人が無念であったに違いありません・・・。 蓮さんのお通夜は2/29(金)18時〜、告別式は3/1(土)10時〜で、横浜の斎場で行われました。 私の会社は土日休みで、平日(月〜金曜日)は17時35分が仕事終了の定時となっています。 横浜の斎場までは、車を飛ばせば1時間弱程度で到着します。 お通夜終了間際になるかもしれないが、何とか間に合うかもしれない・・・。 いや、間に合わなくてもいい・・・、とりあえず蓮さんに会いに行こう!と、 仕事を終え、直ぐに車を飛ばして斎場に向かいました。 ・・・が、しかし、、、金曜の夜だった事と、高速道路で事故があった為、かなりの渋滞!(−−; 渋滞中、斎場に行っているよこよこさんとLazyさんにメールで状況を伝えてもらい、 車中で完全に間に合わない事を確信しました・・・。(汗) 注)運転中の携帯メールは交通違反なのでやめましょう!(^^; 渋滞を抜ける直前、CaRAVANのアルバムをCDチェンジャーに差込みました。 外は少し寒かったのですが、眠気覚ましに窓を全開にしました。 渋滞を抜けた辺り、流れてきた曲は「Someday」。 冷たい風を浴びながら、車をぶっ飛ばして聞く「Someday」は最高でした! 蓮さんが亡くなった今でも、こうやって勇気付けられているんだなぁ・・・と 改めて蓮さんの存在の大きさを噛みしめながら斎場へ向かっていたのでした。 ・・・と、そんな事をしみじみ考えながら運転していたら、 道を間違えてしまい、ちょっとタイムロスを喰らってしまいました・・・。(−−; 何やかんやでやっと斎場に到着!! 会社を出てから2時間半もかかってしまいました。 <事故した奴らを恨みました・・・。(−−♯ お通夜(式)はとっくに終っていましたが、 ご家族の方がいらっしゃったので、蓮さんに会う事ができました。 祭壇に飾られている蓮さんの写真を見て、まだ信じられない気分でした。。。 線香をあげ、顔を拝見しました・・・。 とても綺麗な顔です! こんなに綺麗な死に顔を見たのは初めてです。。。 まだ生きている感じがしました。。。 服装は、前回のライブで着ていた緑のドレス・・・。 「流石だ!蓮さん、流石だよ!最後までカッコイイよ!!」 斎場を出てからは、シュウさんをはじめとするCPSPのメンバー達が 近くの居酒屋でタムロしていたので合流しました。 その日は家に帰らず、近くのチープなホテルに泊まり、 次の日、告別式に参列、蓮さんと最後のお別れをしました。 告別式が終わり、家に帰ってからも呆然としています。。。 また一人、旅立たれてしまった・・・。 やはり仲間が死んでいくのは非常に辛い! 癌という病をテーマに集まった仲間達ですから、 いつかこうなるかもしれない・・・と、わかっていたものの、やはり辛いです! リレー・フォー・ライフにはいつもCaRAVAN、蓮さんの歌声があった・・・。 もうそれが無くなると想うと、心にポッカリと穴が開いた気分です・・・。 RFLに一つ花が無くなった・・・、そんな感じがします・・・。 蓮さん、あなたの生きザマ、決して忘れません! サバイバーとして、人として、尊敬致します。 どうか安らかにお眠り下さい。 ありがとうございました。 新横浜でのRFL、一緒に歩きましょうね! 【 追悼LIVE 】 − 2008.04 下旬 − 4/19、蓮さんの追悼ライブが鎌倉市大船のHoney Beeというライブハウスで行われました。 本来は蓮さんが出演する予定でしたが、2月下旬にあの世に逝かれた為、 ライブは中止の方向になっていましたが、残りのメンバー(Men's CaRAVAN)で 追悼ライブとして決行されたのです。 実は、蓮さんの告別式の時、私はバンマスのミッキーさんに 「蓮さんは亡くなったけど、4月に予定しているライブはやってほしい!」と言おうとしましたが どうしてもその様な雰囲気ではなく、結局言い出せませんでした。 しかし、告別式から数日後、CaRAVANのHPで追悼ライブとして予定通り行うと発表があり、 とても嬉しく感じました。 ライブには蓮さんを慕って多くの人達が集まりました。 私はリレー・フォー・ライフ以外でCaRAVANのライブを見るのは3度目になります。 蓮さんには常日頃から勇気づけられていたので、ライブに行く時は毎回、感謝の気持ちを込めて 花束を持って行きました。 蓮さんとはリレー・フォー・ライフがらみで知り合いましたので、ベタベタな話なのですが、 ライブの時は、いつも紫色の花束を渡していました。 蓮さんはもうこの世に居ませんが、蓮さんへの感謝の気持ちは変わらないので、 いつもと同じ様に紫の花を持って行き、蓮さんが歌う予定であったマイクの下に花を添えました。 ライブは非常に良かったです! あたかもそこに蓮さんが居る様でした。 私の心に「生きザマ」というものを深く刻みつけてくれた蓮さんに感謝の気持ちでいっぱいです。 そういう想いでライブを見ていました。 写真を撮ってきましたので、ご覧下さい。↓↓↓ 話は変わりますが、最近、蓮さんの事でとても感激した事があります。 蓮さんの息子さんが、リレー・フォー・ライフ新横浜の実行委員として参加され、 一緒に活動する事になりました。 蓮さんの想いが息子さんに引き継がれたのです! 蓮さんも、きっとあの世で喜んでいることでしょう。
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