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番外編  Another Life


金ちゃん物語

皆さんの参考になるようなお話は出来ませんが、暇のある方は読んでください。
この時代は今よりうんと治療法が遅れていたし。

今から15、6年ぐらい前の話・・・。曖昧でごめんなさい。
もう忘れたことが多くあります。
登場人物はすべて仮名です。

私は20代の花の盛りの頃でした。入院患者の彼は50代後半で陰気くさい人に見えました。
彼は金ちゃんといいました。
金ちゃんは事故で片目が不自由で、残った目も視力がかなり悪い状態でした。
人相もたいそう悪かったです。在日韓国人で経済的にも恵まれていませんでした。

金ちゃんは肝臓の検査のために内科病棟に入院されていましたが、
かずかずの検査を受け、大変なストレスをためていたようです。

事件は彼の肝臓動脈の造影の後起きました。彼のストレスはピークに達していたのです。
夕方の4時から勤務に出てきた私は、ベテランの山本さんと2人の勤務でした。
勤務チェンジをして、日勤のナースが帰宅した後、彼は突然吐血しました。
ストレスで急速に胃潰瘍ができたのです。そしてその潰瘍は彼の胃の動脈を傷つけて
しまったのでしょう。
金ちゃんは山本さんのチームの受け持ちでしたが、吐血は患者の生死に関わる重要な症状です。
他の患者49名をほっぽりだして私たち二人は彼の看護に付きっ切りの状態になったのです。
そして長い夜勤が始まったのでした。



私は病棟にある一番大きな膿盆を彼の口元に当てて、血圧を測りました。
収縮期血圧が60程度。普通の人は100〜150mmHgぐらいあります。
もちろん聴診はできず触診法で測定します。
彼はさらに大量に血液を吐き膿盆はいっぱいになりました。
「膿盆おかわり」と心の中で言いましたが、私しかいません。
吐血した量や性状をメモしてきれいに洗い、また病室に飛んで帰りました。
そして、とうとう血圧は測定不能になってしまいました。
病室は血のにおいで充満していました。

その間相方の山本さんは主治医から指示を取り付け、薬剤や血液の準備、家族への連絡、
また大量に輸血が必要になるために、彼と同じ血液型の親族を集めるように指示していました。
病棟には彼の親族や在日韓国人の仲間が大勢集まり、騒然としています。
金ちゃん以外の患者様は、異様な雰囲気を察して今夜は看護婦さんは自分のところには
来ないことを悟ったと思います。
その夜はナースコールを鳴らす人はだれもありませんでした。
山本さんは、クロスマッチのために飛ぶように詰所の中で走り回っています。
もちろん金ちゃんの主治医も。

新人看護師の私は一人で彼のベッドサイドにいました。
もうなすすべもなくただただ彼の冷たい手を握り締めて、背中をさすりはげますことしか
できませんでした。
もう血圧を測る必要もありません。どうせ測定不能ですから。
脈も弱くほとんど触れることができません。
しかし驚く事に彼はどんなに血圧が下がっても意識を失う事はありませんでした。
顔は真っ白で蝋人形のようです。
「何かに似てる。 ああ、エイリアンだ。」
多くの血液を失って、彼の体の中の酸素は彼の生命を維持する最小限の程度しかありません。
彼は酸素不足で息苦しさを訴え続けます。
酸素吸入を始めましたが、酸素を運ぶ血液がヘモグロビンが彼の体の中にはわずかにしか
残っていませんでした。



金ちゃんの家族も駆けつけていましたが、吐血する様を呆然と見ておられました。
その時、山本さんが輸血バックをもって病室に駆け込みました。
「ああ、助かった。」と私は大急ぎで輸血を開始しました。
しばらくして真っ白だった金ちゃんの顔に血の気がさしてきました。
輸血の効果はてきめんです。血圧も次第に上昇して、私はほっとしました。
ところが、ところがです。血圧が80mmHgをこえたころまた吐血が始まってしまったのです。
膿盆は見る見る血液でいっぱいになります。
そして再び血圧ダウンとなってしまいました。

そうです。血圧が回復し上昇するとその圧で動脈からまた出血するのです。
親戚友人から採取した生血が彼の静脈にまた注がれます。
いたちごっこでした。何回か輸血を繰り返し、そのたびに吐血を繰り返す金ちゃん。
体内の血液は何回入れ替わったでしょうか。

主治医は決断しました。もう手術しかないと。今度は手術の手配に山本さんは奔走します。
私は瀕死の金ちゃんの着物を手術衣に着替えさせました。
もう日付けが変わる時間になっています。手術室のナースや医師たちが揃いました。
さあ、手術だ、手術の準備をして金ちゃんを手術室に送り込みました。
彼は最後まで意識を失わず、手術室に搬送する時も自分の手で口の周りを仰ぐしぐさをして、
息苦しさを訴え続けました。
酸素不足の水槽の中で水面に浮かんでパクパクしている金魚のようです。
手術室には彼の手術を担当する外科医大川先生のすらりとした後姿が見えました。
大川先生はこんな夜中の呼び出しでも眠そうな顔を見せません。
魚屋のおじさんのような厚い前掛けをして、手洗いをしておられます。
私が彼の姿を見たのはそれが最後・・・。私は金ちゃんが生きて手術室から出られるなんて
思っていませんでした。

なんて夜勤だったんだ。もう疲労困憊です。夕食も食べていません。
深夜勤務のナースに今夜の話を山本さんと聞かせて、「やってらんないわよー。」
と自宅に帰りました。
思考能力ゼロでした。

でも彼は生きて手術室を出たのです。



彼は命を取り留めました。私たちの努力は無駄にはならなかったのです。
しかし彼には次の問題が残っていました。

彼の肝臓には癌があったのです。彼はその検査のために入院していたのです。
吐血はまったく予期していなかった出来事でした。
私はその後彼が肝臓専門の若手の麻田先生の手によって、
肝臓癌の切除術を受けたことを聞きました。
胃切除に続き、肝切除なんてありえないなー。
内科病棟に勤務していた私は、彼がどうなったのか知りませんでした。
手術の結果がどうだったのか聞くことはありませんでした。
それはその当時肝臓癌の手術の成績が良くなかったので、聞きたくなかったのです。
しかし、数年後運命的な再会があったのです。

そう、数年後・・私は勤務交代で外科外来に移動になりました。
そこに金ちゃんは半年に一度の肝切除術後のフォローで通院していたのです。
私は彼を何年ぶりかに見て驚きました。
人相は相変わらずですが、血色がよく、やせぎすだったのに、適当に体重も増え、
たくましい体つき、とても肝臓や胃を切った人には見えませんでした。
きつねにつままれた気分です。
「金ちゃん、久しぶりー。あの夜の事おぼえてるー?」金ちゃんは視力がすごく悪いのですが、
私の声とあの時の夜の事とがすぐにリンクしたようです。
「あんたに命を助けてもらったわー。」
二人ともうれしくてすっかり盛り上がってしまいました。
大騒ぎをしている二人を麻田先生は、うれしそうに見ていました。
麻田先生にとっても金ちゃんは貴重な症例です。

本当に元気な金ちゃんでした。
肝機能や腫瘍マーカーのチェックをして、私と話しをして帰りました。
彼はとても穏やかな日々を送っていたのです。
金ちゃんの話によると、彼はちょくちょく韓国に帰るようなのですが、
韓国の人から日本にはすばらし医者がいると、いつもうらやましがられるそうです。
友達がぜひ麻田先生に見てもらいたいと泣くそうなんです。
彼は自分の病気もすべて知っていました。自分はラッキーだと言いますが、
私は医者の腕ではなく金ちゃんの生命力を感じます。

その後数年間、私が外科外来にいる間、彼は時々思い出したように外来を訪れていました。
ときどき韓国のお土産などをいただいていました。
そして、私はその後に仕事上の都合で病院を後にすることになりました。

長年勤務した病院をあと1週間で後にする時、金ちゃんが内科に入院した事を聞きました。
彼の肝臓に癌が再発したのです。衝撃が体を走りました。
私は単身で東京に1年間行くことになっていました。私は彼の病室に飛んでいきました。
「あれから、10年近く生きさせてもらったから、仕方ないよ。」
「でも頑張って。金ちゃんならしぶといからきっと治るよ。」
金ちゃんの手を握りしめ、今度こそ別れのときを感じたのです。
金ちゃんの手は吐血のときと違って大きく温かい手のひらでした。

彼は手術ではなくPEIT(経皮的エタノール注入法)を受けました。
肝臓の癌の部分に直接エタノールを注入するのです。
その処置は内科の肝臓の専門の藤先生でした。藤先生は自身もひどいB型肝炎を患っています。
ですが腕もよく、クールな先生です。
PEITがどれだけ効果があるか、わかりません。
ただ再発後の治療成績は期待できないと思いました。「さよなら、金ちゃん」

その後・・・。
さらに7年・・・。今のことです。
金ちゃんの出血性胃潰瘍の胃切除を行った大川先生は大の韓国好きでした。
今みたいに韓国ブームが来る前の話しです。
金ちゃんに案内してもらって韓国によく行かれました。
しかし数年後、自分の得意分野の胃癌で62歳であっけなく亡くなりました。
肝臓の手術をした麻田先生は今や大病院の副院長です。
白髪が増えましたが、まだ肝臓の手術は彼を超える医師はいません。
一緒に夜勤をして金ちゃんの看護に当たった山本さんは、定年退職後再就職をして
ケアマネージャーの資格をとり活躍しておられました。
しかし先月胃癌でたった3週間の闘病生活後亡くなりました。(すごくショック)

内科の藤先生は「もう自分の肝臓の検査をするのはやめたよー。結果を知ってもしょうがない。
治療はし尽くした。」と内科部長の仕事をたんたんと過ごしています。

金ちゃんは・・・。元気です。毎年来る年賀状がきます。
自分の生存を私に伝えるためのように。
金ちゃんの肝臓はどうなっているのか知りませんが、とにかく彼が孫にめぐまれ
幸せであるという事実は本当です。
大川先生や山本さんはまさか金ちゃんより自分が若くしこの世を去るなんて
思いもしなかったでしょう。
二人ともすごく健康で、悪いところなんてひとつもありませんでした。
人の寿命は誰にもわかりません。生きていく限り生命はあります。
それだけです。

金ちゃんはしぶとくこの先も不死身を貫くような気がします。



おわり 
金ちゃん物語 U に続く→




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