BNW-04 輝 き 【 確信の7 】 − 2012.02 上旬 − 肝細胞癌を摘出して7年が経過しました。 7歳のバースデーケーキ。 7年経って確信しました。 もう再発は有り得ない・・・と。 7年前、インターネットで肝細胞癌患者の5年生存率を調べたところ、 とある病院のサイトに行き着き、衝撃を受けたのを記憶しています。 そこには5年生存率に加え、「7年生存率」なるデータも公表されていたのです。 5年生存率に比べ、あまり聞きなれない7年生存率というデータ・・・。 当たり前ですが、年数が長くなればなる程、生存率は低くなっていました。 そこで見た自分(肝細胞癌StageV)の7年生存率のデータは、27.7%・・・。 その数値はあまりにも低く、当時の私は絶望の淵に追いやられた感情を抱きました。 肝細胞癌StageVの患者が7年後に生き残る確率・・・27.7%。 あくまでも昔のデータ、手術も治療も今より確立されていない頃も含んでいたであろう数値、 気にはしない様に自分に言い聞かせていたものの、やはりどこかで引っかかっていました。 実は、7年が経過する今まで、この数値はずっと引っかかっていたのです。。。 でも、もうすでに7年を生き延びる事ができました! 7年前、7年生存率のデータを見て絶望の淵に追いやられた状況とは裏腹に、 7年生き延びた私の人生は今、ひかり輝いています。 正直、改めて考えてみると、よくこの状況を乗り切れたな・・・ と自分なりにもの想いにふける程です。 決して楽観的ではない状況であった筈・・・。 ひとつ言える事は、自分は癌になって強く生きる事ができた・・・という事なのだと思います。 バースデーケーキの灯りを消す瞬間、「7」の数字が輝かしく見えたのでした。 【 異動 】 − 2012.05 上旬 − サラリーマンとして勤続20年中、19年間内勤職でした。 入社1年目にしてB型肝炎が悪化し、2回入院したこともあり、 入社2年目以降は営業から外れ、今までずっと同じ部署で内勤業務をしていました。 内勤業務と言っても、ちょっと特殊な業務を19年間行っており、その道では余裕で仕事を こなしてきましたが、4月より人事異動で営業マンとして働く様になりました。 19年ぶりの営業復帰です。 同じ業務を19年間行い続けるというのは、私の会社では異例な事で その間、幾度か営業職へ異動の打診もあったのですが、 病気の事もあり営業への異動を拒み続けてきました。 ・・・というか、自分では営業は向いていないと判断していたので、 ズルイやり方ですが、病気を理由の盾にして異動を拒んでいた時期もありました。 しかし、昨年の上司との面接の際に自ら営業職へ希望を出しました。 大きな理由としては、以下の2点です。 @癌摘出から無再発で7年が経過し、自分としては癌を完全克服したと思っている。 A子供ができて、自からもっと稼ぎたいというハングリー精神が芽生えた。 @に関しては、元気になったから外に出る!・・・という事です。 いくら年数が経過したとしても、やはり病気になった者に対しては あまり無理をさせない・・・というのが会社側の意向となります。 自分としては、癌を完全克服したという証として、普通に外で働けるという事を 見せ付けてやりたいと思いました。 Aに関しては、「ハングリー精神が芽生えた」と言えばカッコイイ話なのですが、 本音は「金が欲しい・・・」という事です。 何故金が欲しいか?と言えば、それは子供を養っていくためです。 ぶっちゃけ外勤すれば営業手当てが貰えます。( ̄ー ̄)ニヤリ 外勤した日数にもよりますが、私の会社では月3〜4万円の営業手当てが付きます。 普通に考えて、サラリーマンが月3、4万円の収入をUPするという事は困難です。 しかし、営業勤務として外勤をこなせば収入UPが可能となるのです。 久しぶりの営業復帰で、今は新人とやる事は何ら変わりません。 体力勝負の時もあり、嫌な相手にも頭を下げ、結構キツイ事も多いですが、 見方を変えれば新鮮であり、純粋に仕事に打ち込めばやり甲斐も大いに感じます。 話は少しさかのぼりますが、前の部署で送別会をしてもらいました。 送別される側は私を含めて3名で、送別会の最後に送別される側は挨拶をしました。 今まで会社には「自分は癌になって・・・」という話は、自分の上司と仕事に深く関わる 数名の限られた人にしか伝えていませんでした。 別に癌になった事を隠していたわけではありませんが、癌に罹ったという事で、 変に心配されるのが自分にはストレスになった事もあり、必要以上に自から言わない様に していました。 しかし、今回の異動を機に送別会の挨拶で、自分は癌患者であった事を大勢の前で 公表したのです。 7年前に肝臓癌に罹った事、 とても重かった事、 当時は死ぬ予定であった事、 癌になった私を会社・上司はとても良く配慮してくれた事、 癌を克服できた事、 元気になったので営業に出る事、 今度は自分が営業に出て会社に恩返しをしたいという事、 子供が生まれたことがきっかけで、自らもっと稼ぎたい気持ちになった事・・・と。 早いもので、もう5月・・・。 久しぶりに営業職に復帰して1ヶ月が過ぎました。 昔の営業とはガラっと仕事のやり方が変化しており、毎日目が回る程疲れ果てています。 でも、一日あたり1万〜1万5千歩を歩いているので、健康にはとてもイイです!(^−^) 色んな事に感謝しながら、家族のために頑張って稼いでいきたいと思います。 【 家 】 − 2012.05 上旬 − 家を買いました。 といっても一軒家ではなく、マンションを住宅ローンを組んで購入しました。 場所は、千葉県のチョイ奥地になり、会社まで電車で1時間程度、 関東においては通勤圏内と言えます。 住宅ローンを組む際に、ひとつ気になっていた事がありました。 「癌患者は、住宅ローンを組めるのか?」という疑問です・・・。 住宅ローンを組む際には、一部を除いて団信保険の加入が義務付けられます。 団信保険とは、簡単に言えば、自分(ローンを組んだ者)が病気等で死んでしまった場合、 ローンがチャラになるという便利な保険です。 生命保険ですから、癌を含む三大疾病に罹った者の加入は極めて困難であると予想されます。 これは隠していても仕方が無いので、マンションを販売する不動産会社の担当者に 自分が7年前に癌に罹った事を告げ、団信保険に入れるのか否かを確認しました。 すると、ローンの事前審査の用紙、健康の告知部分には、 「ここ3年間での三大疾病に罹ったか?もしくは治療したか?」という項目がありました。 ここで注目すべき点は、「3年間」という期間の表記です。 7年経過している私にとっては、3年間という期間は既にクリアしているわけですので 「いいえ」という解答欄にチェックを付ける事ができます。 ・・・と、安心していたのもつかの間、引っかかるものがありました・・・。 癌ではなく持病の「慢性B型肝炎」に・・・です。 三大疾病以外の病気でも、B型肝炎は団信保険加入適用外、いわゆる引っかかる病気として 定められているとの事でした。 毎月通院し、バラクルードを処方してもらっている事から、「3年間」という有り難い期間設定も おもいきりアウト!となります。。。(−−; ローンが組めないかもしれない・・・と数日間落ち込んでいたのもつかの間、 不動産会社の担当者から大手の銀行で、自分が死んだ際に○千○百万円以上の 保険金が支払われる契約の生命保険に加入していれば、団信保険に入れる・・・ という話がありました。 運良く、私は癌に罹る前から生命保険に加入しており、銀行が指定している条件も クリアできている事で、その銀行であれば住宅ローンが組める・・・ という事になりました。( ̄ー ̄) でも結局、私はその銀行でローンの契約はしませんでした。 上記に話していた団信保険の加入を義務付ける住宅ローンは、銀行からのローン いわゆる変動金利型のものです。 私は、購入するマンションがフラット35Sという金利が優遇される固定金利住宅ローン対象の 物件であったため、そちらを選択しました。 そのフラットなる住宅ローンは、団信保険の加入が義務ではない・・・というのも 私にとってはかなり魅力的でした。 何かあったら、私が加入している生命保険で残された家族は住宅ローンを返済すればOK! ・・・という事で、私は団信保険に入らず、フラット35Sで住宅ローンを組み、 マンションを購入しました。 あまり面白みの無い話をダラダラとスミマセンでした。。。(^^; 新居には3月末より住んでいます。 春は桜並木が綺麗な場所もあり、子育てをするには最適な環境です。 やはりご縁あってか??? 新居は、MOMOさんのお墓まで車で10分程度で行ける場所なんですよね。。。 引越ししてから今までバタバタで行けませんでしたが、 明日あたり久しぶりに挨拶に行こうと思います♪(≧∇≦)b
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