DS-05  私の癌


【 強制退院 その後 】 − 2005.03 上旬 −

やむを得ず強制退院になったので、次の日は腹の傷の消毒の為、強制通院しなければ
ならなかったのです。(汗)
言われた通り、診察がすいている時間(昼過ぎ)に病院に行きました。
あまり待たずに入る事ができました。

診察室に入ると、病理検査の報告を約束した担当医がいました。
私:「こんにちは。丁度良かったです!いきなり退院になったので病理検査の話、
どうなるのかと思っていましたよ。」

担当医A:「そうなんですよね、急遽、退院でしたもんね!いつでも宜しいので、奥様のご都合が
良い日を電話で良いので教えて下さい。」

・・・と言われ、電話番号が書かれた紙を手渡してきました。

傷口を消毒されました。
そして、ナ、ナント!、腹帯(ふくたい)が取れたのです!
手術後から腹に包帯をぐるぐる巻きにされていましたが、それが取れたのです!
あとはガーゼと絆創膏のみになりました。 非常に嬉しかったです。

家に帰りました。。。
非常に、ぐったりです・・・。(汗)
何が疲れるかと言うと、体力が無いのは勿論なのですが、人ごみがどうやら今の私にとって
かなりのダメージらしい事がわかりました。(汗)
まぁ、体力が回復したら、これは解消されるだろうな!

その2日後・・・、最悪の事態になりました。
かなりの高熱を出したのです!39度です。。。(大汗)
インフルエンザになったら大変だ!という事で1週早く退院したのに、
カゼを退いてしまいました! 39度、インフルエンザの可能性が大です!(汗)
夕方まで寝ていたのですが、熱は一向に治まらなかったので、救急外来に行くことにしました。
手術した都内の病院ではなく、同じ千葉県にある昨年末に入院した病院の救急外来です。
とりあえず、電話をしてみました。

私:「すいません、診て頂きたいのですが、今、混んでいるでしょうか?」
救急外来看護師:「1時間ぐらい待たれるかと思います。どういった症状ですか?」

私:「熱が39度あります・・・、あと、鼻水も出ます。寒気もします・・・。関節も痛いです。。。」
救急外来看護師:「わかりました。え〜っと、最近、何か大きな病気にかかりましたか?」
私:「え!? 大きな病気ですか?」(汗)
う〜〜〜〜ん、大きな病気と言うか、大きすぎる病気なんだけどなぁ・・・。(汗)
私:「えっっっとですね〜、、、、、肝臓癌です。」(大汗)
救急外来看護師:「えっ!???」
そりゃ、驚くわなぁ〜。(笑)
私:「昨年末、そちらの内科に入院しまして、都内の病院で手術して退院したばかりです。」
救急外来看護師:「あ、そうですか。わかりました、今から来てください!お気をつけて。」

車で自ら運転して行きました。
ヘロヘロです・・・。車の運転はやはり無謀だったか・・・。(汗)
救急外来入り口から入り、受付を済ませました。体温計を渡され熱を測ったところ、
ナント!、40度!!Σ( ̄□ ̄lll)  そりゃ、ヘロヘロだわな。。。
結構、混んでいました。
待たされ、待たされ、もう2時間が過ぎています・・・。
かなりシンドイ。。。、限界です。。。術後の体力が無い中、尚更です。
そんな中、腹が立つ事がありました!
救急外来なので、救急車で運ばれて来た人は優先的に診察される・・・という
システムになっています。 そこに落とし穴があったのです!
どう見ても、私より健康そうな若者が、ちょっとの傷で救急車に乗って来て、
待たずにスルーで診察室に入るのを目撃したのです!(怒)
そりゃないだろ!いくら救急車で来たと言っても、それは納得できんぞ!
こっちは、癌で手術して肝臓を半分も取ったんだ!術後はインフルエンザにかかるとマズイと
いうことで退院させられたものの、今、40度の高熱、インフルエンザの可能性が高いんだぞ!
しかも、自力でがんばって、ココまで来たんだぞ!!そんで、ずっとココで待っているんだ!
それを抜け抜けと、かすり傷程度で、スルーパスしやがって!! マジ、ムカつく〜〜〜!(怒)

やっと診察室に呼ばれました。
すると、そこには、昨年末に入院した時の主治医Dが座っていました。
私に癌を告知した先生です!


私:「あぁ〜!どうも、こんにちは!先生で良かった〜!」(笑)
主治医D:「あ、こんにちは!ヘルプで来てくれと言われたった今、来たところなんですよ!」
事情を知っている先生の診察でホント良かった・・・。
今までの強制退院の成り行き等、色々と伝え診てもらいました。

主治医D:「お腹、見せてもらえますか?」
・・・腹を見せる・・・
主治医D:「うわっ、ガッツリ行きましたね〜!」(笑)
私も思わず笑ってしまった。。。
主治医D:「まさか化膿して熱が出ているんじゃないよなぁ〜・・・。」
私:「いや、そんな事は無いと思うんですよね〜。。。」
主治医D:「とりあえずインフルエンザの検査をしてみますか!」
私:「お願い致します。」
主治医D:「ちょっと痛いですけど我慢して下さい。」
インフルエンザの検査は、鼻の奥に棒みたいなものを入れられ、粘膜から菌を採って
それを検査にかけるものでした。 結構、痛たかったです。(汗)

主治医D:「結果が出るまでちょっと時間がかかりますので、待合室でお待ち下さい。」

待つこと2〜30分、再度、診察室に呼ばれました。
主治医D:「インフルエンザでは無いようです。ただのカゼですね。」
私:「あぁ、良かった・・・。」
インフルエンザが怖くて、予定より1週早く退院したのに、
退院したとたん、インフルエンザになったら、大馬鹿者の烙印を押されてしまいます!(笑)
主治医D:「点滴でもしますか! もう慣れっこでしょ?」(笑)
私:「お願いします。」(笑)

・・・という事で、2時間ばかり点滴をして帰りました。
帰りはまた、車を運転して帰りました。ヘロヘロで危険でした。
車で行くんじゃなかったな・・・。_| ̄|○





【 病理検査 】 − 2005.03 上旬 −

病理検査の結果を聞きに、都内の外科に行かなくてはなりませんでした。
カミさんの都合を聞き、担当医に電話し、とある日の18:30に話を聞きに行く事になりました。
話を聞く場所は、この前まで入院していた階の面談室になりました。
カミさんは仕事帰りに行く為、私とは別々に病院に行き、
病棟のロビーで担当医と待ち合わせをしたのでした。
30分前の18:00に到着しましたが、カミさんはすでに来ていたので
担当医を待つだけとなりました。

退院してから1週間しかたっていませんでしたが、病棟の懐かしさに慕っていると、
何やら様子が変である事に気がつきました。
ロビーの隣にある病室(2人部屋)が、やけに慌しいのです・・・。
年配の方で、かなりの重症と思われる方が入っている部屋でした。
この方とは私が入院していた時に、一度ロビーで話した事がありましたが、
黄疸が出ていて顔は真っ黄色、足がかなりパンパンにむくれ上がり、
話している内容は、さっぱり理解できない状態であり、察するに、薬で頭が錯乱しているのか?
もしくは末期の肝硬変か?という患者さんでした。
親族がぞくぞくとやって来て、「お父さん、がんばって!」とか、そういったたぐいの声が
聞こえてきます。赤ちゃんを抱いているお母さんが部屋から出て、私の向かいに座り
子供をあやしています。部屋で泣くと大変なのでしょう・・・。
しばらくして、親族の一人が部屋から出てきて、そのお母さんに部屋に入るよう指示しました。
すると部屋の中から、一斉に親族の泣き声が聞こえてきました。。。

・・・亡くなられたのです。

結構、キツイです・・・。私の入院中には、この様な体験は無かったのですが、
やはりココは病院、それも外科です。癌の末期患者も多いのです。
死ぬという事は、日常茶飯事なのでしょう。。。
心からご冥福をお祈り致しました。
正直、ショックでした。。。
こんな事を言うと不謹慎ですが、病理検査の結果報告を直前に控えた私にとって、
すぐ隣の部屋で人が亡くなった事実は、かなりのダメージでした。

20分遅れで担当医Aがやって来て別室に案内されました。
後から私に強制退院を言い渡した、いや、私の背中の麻酔を抜いた担当医Cも
研修医と一緒に部屋入ってきました。(笑)

担当医C:「遠いところ、すみませんね。その後、体調は大丈夫ですか?」
私:「はい、カゼをひきましたが大丈夫です。 よろしくお願い致します。」
担当医C:「病理検査の結果ですが、癌は直径4.8cm程ありまして、
やはり当初の見解通り、5cm弱程の悪性腫瘍でした。
残念ながら、肝臓の場合、今後、癌が再発する確率は極めて高いです!」

本で読んでその事は、知識として頭にありましたが、改めて医師から告げられると、
結構、キツイものがありました。(汗)

担当医C:「奥さんは看護師さんですので、この事は十分にわかってらっしゃると思いますが、
癌は、ステージとして分けて見ます。」

あっ、ステージか!そうか、病理検査で自分の癌がどのステージかも分かるんだったな!
ステージについては、私が読みふけっていた肝臓癌の本に書いてあったな・・・。

***肝細胞癌のステージ***


肝細胞癌のステージは、癌の大きさ・癌の数・血管への浸潤具合で決まります。

<条件>
 ● 癌の大きさが直径2cmを超えている。
 ● 癌の数が2つ以上ある。
 ● 癌が血管の中に広がっている


Stage T 上記の条件に全く当てはまらない。
Stage U 上記の条件に1つだけ当てはまる。
Stage V 上記の条件に2つ当てはまる。
Stage W-A 上記の条件の全てに当てはまるが、リンパ節や他の臓器に転移がない。
または、条件には関係なく、肝臓周囲のリンパ節に転移している。
Stage W-B
肝臓より遠くの臓器に転移がある。

簡単に言うなら、ステージTは、早期発見段階のもので治癒の確率が高く、
ステージWは末期の癌という事になる。W-Bだと余命数ヶ月といったところだろう・・・。
私は、もろもろの事情を踏まえた中、本を読んでの自己診断として、
腫瘍は大きいので、ステージT(早期発見)ではなかったにせよ、腫瘍は1つしかなかったわけだし、
「ステージU」であろう・・・と判断していました。

担当医Aが、白板に書きながら説明をはじめました・・・。

担当医A:「検査の結果、この癌はステージVです!」
私:「えっ!??ステージV??? 3ですか? てっきり2だと思っていました・・・」(汗)
担当医A:「ええ、肝臓内の他の血管の中に癌細胞が発見されましたのでステージVです。」
担当医Aは、白板に『 Stage V 』と筆記体で書きました。
私は、その『 Stage V 』という文字に目が釘付けになりました・・・。

私:「キツイなぁ〜、、、ステージVか・・・。」
かなりの衝撃を受けました。。。
そして、そこに追い討ちとなる事実も告げられたのです!

担当医C:「今のところ、肝硬変ではありません。肝硬変というのは肝臓が線維化して硬くなり
肝硬変になるのです。これは、『F』(線維化)という段階で決まります。
F1〜F4という段階で、F4で肝硬変となります。 検査の結果、F3でした。」
私:「えっ!? F3???あと一歩で肝硬変という事ですか?」

担当医C:「残念ながら、そうなります。線維化した肝臓はもう戻る事はありません。
ですから、このF3の状態をキープして、肝硬変にならない様にするしかないのです!」

厳しい、厳しすぎるな・・・。肝硬変、この知識は頭に入れていなかっただけに、
かなり衝撃的な話だな・・・。(汗)
担当医C:「やはりB型肝炎が、そもそもの原因ですので今後、B型肝炎の治療に専念され、
肝臓をできるだけ荒れさせない、そして、再発のタイミングをできるだけ延ばす・・・という
手段しか無いと思います。
ですので、今後の治療は内科になりますが、インターフェロンか何かでB型肝炎の治療を
されるのが、癌を再発させない懸命な手段となります。」

やはり諸悪の根源はB型肝炎だな・・・。
私:「先生、いいですか? もしB型肝炎が治癒しないにせよ、ほぼ治ったと見なされる状態に
なったとした場合でも、癌が再発する可能性というのはあるんですよね?」

担当医C:「はい、あります。」

やっぱりな・・・。(汗)

私:「再発する場合は、やはり肝臓にできるのですよね?」
担当医C:「肝癌の特徴として、再発する場合は、先ずは肝臓内(肝内転移)の可能性が高いです。
これがいつ頃、再発するかはわかりません。同じ場所にできる場合もあれば、
肝臓内で別の場所にできる場合もあります。今回、癌は1つでしたが、今後、再発する場合も
1つかもしれませんし、一気に2つ、3つと、複数できる場合もあります。」
私:「肝臓にできなくて、他の臓器にいきなり再発する可能性はあるのでしょうか?」
担当医C:「まぁ、可能性として全く無いとは言い難いです・・・。」
まぁ、そう答えるわな・・・。(汗)
担当医:「・・・という事で、再発を未然に防ぐ意味で、これからは内科の方でB型肝炎の治療に
専念して下さい。」
私:「わかりました。 ありがとうございました。」

正直、ショックでした。。。

癌が、ステージVだった事・・・。
更に、肝硬変一歩手前のF3であった事・・・。

やはり私は癌という病気をナメていた事になります。
当初、エコーで腫瘍が見つかった時は、良性腫瘍だと軽く思い込み、
癌と告知され、凹んではみたものの、斬れるだけ幸いだという事で、
多少なりとも甘く考え、腫瘍の大きさが5cm弱ではあるが、1つだし、まさか血管の中には
広がっていないだろう・・・と勝手な自己診断でステージUと思い込んでいたのが、
この病理検査結果で、大きくくつ返えされた・・・という感じになりました。
病理検査の結果を聞く前は、
「ハイハイ、どうせ、悪性だったんでしょ?でももう斬っちゃったもんね〜。( ̄∀ ̄)v」的な発想で
癌の進行後具合を考えずに甘く見てしまった・・・という事になります。

この病理検査の結果は、私にとって癌の告知より衝撃が大きいものでした。

叩きのめされた・・・

そんな感じです。


私の癌の写真を公開致します。 → 



病院を出たのは20:30でした。
帰りにカミさんと駅前の回転寿司屋で夕食をしました。
家に帰るまで電車に乗って1時間程かかります。
カミさんは、買い物をしてから帰る・・・と私に告げ、私を先に一人で帰らせました。
買い物???何時だと思っているんだ?もう夜の9時近くだぞ・・・と思いましたが、
多分、何も買うものなんか無かったのでしょう。。。
ショックを受けている私を察して、一人にしてくれたのだと思います。

感謝しました。











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