T.肝炎の発覚 (一回目の入院) 【 癌発症のきっかけ 】 − 1992.02 下旬 − 私が癌になったそもそもの原因、それは持病の 『慢性B型肝炎 』によるものでした。 1992年2月、当時学生だった私は、内定した会社(現在勤務している会社)から、 『内定者は全員、入社までに健康診断を受ける様に・・・』との指示がありました。 自分としては入社する上での形式上のものとしか認識しておらず、 かと言って適当なものではさすがにマズイと思い、千葉県にある某国立大学病院で しっかりと健康診断を受ける事にしました。 そしてその健康診断(血液検査)の結果、『B型肝炎 』であるという事実が判明したのでした。 担当医師:「検査の結果ですけど・・・、聞いたことがあるかと思われますが、B型肝炎です。 まぁ、直ぐに体がどうにかなるわけではありませんが、肝臓の数値が高いです。 会社の研修はどちらで行われますか?」 私:「大阪と兵庫県の方です。」 担当医師:「そうですか・・・。では、会社の研修中にでも病院に行き、診察を受けて下さい。 一応、紹介状をお渡し致しますので、あちらの病院に提出すると良いでしょう。」 ・・・と言われました。 この時GOTが200台後半、GPTが300台前半であったと記憶しています。 GOT・GPTとは、肝臓の状態をみる血液項目。 ※GOT・GPTは今でいうAST・ALTの事です。 基準値とされる数値は、GOT:10〜40 / GPT:5〜40 程度です。 初めて聞く『B型肝炎 』という病名、それに全く自覚症状すら無い私にはピンと来ていませんでした。 「肝臓が少し荒れているのか?」ぐらいしか感じず、 大ざっぱでいい加減な性格の私は、「まぁ、大した事ではないでしょう・・・。」と思っていました。 当時24歳の頃でした。 【 肝炎の処置 】 − 1992.04 上旬 − 大学を卒業し3月下旬〜4月下旬までの間、大阪府と兵庫県で新入社員研修を受けました。 本来なら研修が始まる前に会社の人事部宛に「健康診断書」を郵送しなければならないのですが、 もしかして内定が取り消しになるのでは???と少しばかり不安であった為、 郵送せず研修参加とともに直接人事部に提出する事にしました。 (ある意味『ズルイ』とも言えますが・・・汗 ) 私:「すいません、提出するのが遅れました。実は肝臓が引っかかってしまいまして・・・(^^; 」 人事部係長:「えぇ!!?ま、まさか、肝炎じゃないよね???」 私:「あっ、、、実はB型肝炎でした・・・。」(汗) 人事部係長:「本当に!??マズイなぁ・・・。(大汗)」 私:「もしかして内定が取り消しになるのですか・・・?」(滝汗) 人事部係長:「いや、、、まぁ、大丈夫だと思うけど・・・。」 私:「実は医者から研修中に病院で診察するようにと言われています。」 人事部係長:「分かりました。研修施設の近くに病院がありますので、そこで診察して下さい。」 ・・・という事で、4月上旬の入社式を終えた後、兵庫県の研修施設付近の某病院で診察を 受けました。 病院というより正確にいうと田舎の診療所でした。 受付で千葉県の病院でもらった「紹介状」を提出し、待合室で待機・・・。 待合室には椅子が無く患者は皆、床(ジュータン)に座っていました。 見ると近所のお爺さん・お婆さんばかりで、まるでそこは『老人達の憩いの場』状態・・・・。 「なんじゃ???この病院・・・。」(汗) 私以外にも同期の女の子が2人診察に来ていました。 彼女らは単に健康診断を受けていなかったという事で、人事部にココで受けなさいと言われて いたのです。 そんなのでいいんだろうか???いい加減な子達だなぁ〜。。。と思いながらも 俺もB型肝炎に引っかかり黙って入社しに来たわけだし、一緒か・・・。いや、もっとたちが悪いなぁ ・・・等と思いながら待機していると、同期の女の子らはレントゲン撮影の為、 一足先に処置室に呼ばれました。 そして、その10分後、私も処置室に呼ばれたのでした。 処置室の中は、やたらとだだっ広く、絆創膏などを貼られている患者、 注射をされている患者が多く、遠くの方にはレントゲン写真が数枚貼られている光景が 目に入ってきました。 しばらくして同期の女の子がレントゲン写真を持った看護師さんと戻ってきて、 看護師さんが彼女のレントゲン写真を貼り出したのです。 う〜ん・・・、見ていいんだろうか? まぁ、裸の写真ではないし、骨の写真なわけだし、まぁいいか・・・ 等と思い彼女の胸部レントゲン写真を見てみると、Σ( ̄□ ̄lll) ・・・ア然! ナ、ナント、、、首筋〜胸元にかけてしっかりとネックレスの跡が映し出されていました! 隣にいる彼女を見るとネックレスをしている・・・・。(汗) やはり彼女のレントゲン写真であったか・・・。 私:「あのレントゲン写真・・・、アレ君のだよねぇ〜?」 同期の女の子:「えっ?どれどれ???」 私:「あれだよ、アレ、今しているネックレスが写っているやつ!」 (レントゲン写真を指して教える) 同期の女の子:「あっ、本当だ!でも何も言われなかったよ。」(笑) いやいや、(笑)じゃなくて、レントゲンを撮るのにネックレスを外すのは常識だろっ! でも、貴金属を外しなさいと言わなかった病院も問題があるな・・・。(汗) チョットここの病院ヤバイかも・・・と思い周りを見渡すと、 注射を受ける患者(お爺さん・お婆さん達)がやたらと多い事に気づきました。 その注射器を見ると結構太い!しかも皆同じ種類なのであろうか?何故かピンク色の液体が 入ったものでした。 色的に、怪しい薬だなぁ。。。栄養剤か何かだろうか??? 不安がつのって来たところで診察室に呼ばれました。。。 診察室と言っても白のカーテンで仕切られただけの診察スペースです。(−−; 医師はヨボヨボのおじいちゃんで聴診器を持つ手が震えており(←志村ケンのコントみたい)、 大丈夫かなぁ・・・という感じでしたが、ものの見事に不安は見事に的中したのです! おじいちゃん医師は私の胸と背中に聴診器を当て、背中をポン!と叩き・・・ おじいちゃん医師:「ヨシ、以上ナシ!」 <オイオイ (汗) 私:「ちょっと待って下さい、受付に紹介状を渡したのですが・・・・」 (慌てて看護師が紹介状を持ってくる・・・) おじいちゃん医師:(紹介状を読んで・・・)「こりゃ大変だ!」 (分厚い家庭の医学的な本を机の下から出し、肝炎について調べる・・・) 「研修なんてしている場合じゃない!!直ぐに帰って入院しなさい!!!」 ・・・嘘のような本当の話である。(−−; という事で、研修中に私の実家(北海道)に帰され、地元の市立総合病院に入院となりました。 なかば『強制送還』であったのです。 【 入院〜肝炎の治療 】 − 1992.04 中旬 − 先ずは検査から・・・。 通常の血液検査に加え、初めて聞く検査がありました。 『肝生検(かんせいけん)』と呼ばれるものです。 どの様な検査かというと、わき腹から長い針を刺し、肝臓まで針を到達させ、肝臓を刺す!(><) そして直接、肝臓の組織を摘み取って、その肝細胞を検査するといった大胆な検査内容です。 部分麻酔をかけてから針を刺すわけですが、痛みの感じ方は人それぞれ・・・。 私の場合は痛かった・・・。ズブズブ・・・と針が入る感触もわかり、 まさに必殺仕事人にでも刺されているかのような感じがしました。(汗) 聞くところによると、下手な医師だと成功するまで何度も刺し直すらしいのです・・・。(−−; さすがにこんなの何度と刺されたらタマラン! 私の場合、痛かったものの、一発で成功してくれたので結果オーライ!と考え直す方が 良いのかもしれません。。。 しかし、もうこの検査は2度とやりたくない・・・。 入院してB型肝炎について詳しく分かりました。 B型肝炎は「ウイルス性肝炎」の一種です。 簡単に言うと、ウイルス性肝炎は、肝炎ウイルスが体内に入ることにより 肝臓が炎症を起こすというものです。 現在ウイルスの種類は、A〜E型まで確認されていますが、日本で特に多いのは、B型・C型です。 現在、輸血による感染は無くなりましたが、このウイルスが発見されていない頃は、 輸血によって感染者が急増したと言われています。 特にC型肝炎は現在社会問題にもなっている程です。 私が何故B型肝炎を発症したかというと、母子感染によるものでした。 家族も血液検査を行い、調べたところ、母親が過去にB型肝炎になっており、抗体を作り 自己治癒していました。 成人がB型肝炎にかかった場合の殆どは、 @自力で抗体を作り治るパターン A急性B型肝炎になるパターン ・・・と分かれます。 私の場合、生まれる頃に母親がB型ウイルスキャリアであったため、 B型ウイルス付きの子供として生まれてきたのです。 免疫力が弱い小児の場合は、自信の体内で抗体は作れず、肝炎は慢性化し 成人してから発症する・・・という確率が非常に高いのです。 幸い4歳下の弟はB型肝炎ウイルス陰性(体内から検出されませんでした)。 これは母親は弟を生む時までB型肝炎を自己治癒していたことが想定されます。 私が生まれつきB型ウイルスキャリアであった・・・ということに関して母親は責任を感じていますが、 これは仕方が無い事だと思います。 その事に対して母親を恨む子供はいないのです。 B型肝炎は完全治癒はしませんが、ほぼ治癒したとみなして良いと判断されるのが 自ら「抗体」を作るという事です。 抗体を作ることによって、その抗体がウイルスを囲い込むわけですので、 万が一、他人に血液感染したとしても、抗体ごと移る為、相手はB型肝炎が発症しません。 抗体がウイルスを抑える事により肝炎も治まる・・・という図式なのです。 では何故、肝炎(B型肝炎)が悪いのか?というと、これは確率の問題になりますが、 以下の様な病状を辿るからです。 @B型肝炎ウイルスキャリア(ウイルス保持者)の10%の人が、肝硬変に移行する。 Aその肝硬変になった人の中から、更に10%の人が、肝細胞癌になる。 との事だからです・・・。 肝硬変になる・・・、ましてや肝臓癌になる・・・という確率は、当時の若く健康な私からすると、 極めて低い確率で無縁のものだと考えてしまい、当然の事ながら、 「まさか自分は癌になんかならんでしょう!」と思っていました。 <癌家系でもないし。。。 (きっと癌になる前は誰もがそう思う事なのかもしれません。) 肝生検の結果、肝臓組織の状態が詳しくわかったので治療方針が決まりました。 インターフェロン投与による治療です。 これは副作用が強い抗ウイルス型の薬で有名な薬です。 人によって副作用は様々ですが、私の場合は軽く微熱が出た程度でした。 抗体はできなかったものの、肝臓の数値(GOT/GPT)は基準値になり退院する事ができました。 約一ヶ月間の入院でした。 |
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