V.肝炎の治療  (三回目の入院)


【 専門医の重要性 】 − 1993.04 中旬 −

入社してからの一年間で、2度の入院・・・。
営業マンであった私は、仕事に穴を開けてしまいました。
と言っても新人が空ける程度の穴など、ベテラン社員が余裕でフォローできる程度。(笑)
ですが、同期はバリバリに働いているというのに、私はあまり仕事をしていません。(汗)
私が勤めている会社は大体3〜5年で転勤を言い渡されるパターンが多く、
自分も転勤するのは3年後である・・・と認識していました。
しかし、会社は肝炎で2度も入院した社員を営業に出すわけにはいかないと、
千葉県にある内勤の新設部署に私を配属させたのでした。
辞令が出たのは1993年2月初旬の事です。4月には千葉県に住まなければなりません。
主治医にその事を告げ『紹介状』を書いてもらいました。
主治医A:「必ず肝臓の専門医に診てもらいなさい!」 ・・・との事でした。

4月になり、千葉県の東京よりに住むことになりました。
若気のいたりとでも申しましょうか、肝臓の事なんかよりも、当時は札幌で付き合っていた
女の子との別れがキツかった事を記憶しています。(笑)
しかし、私の病気が理由で転勤になったのですから、第一優先に肝臓を治療しなければなりません。
先ずは専門医がいる病院を探さなくては・・・。
当時はインターネットが無かった時代ですので、自分の足で病院を訪ね、
この病院で良いか?と判断しなければなりませんでした。
3件目にして現在通院している某大学病院を探し当てたのですが、
それまでの2件はひどかったです・・・。(汗)
1件目はボロボロの病院で、万が一、入院した場合はキツイなぁ。。。と思い見切りました。
2件目はいい加減というか、間違っているとでもいうか・・・。
受付にいた看護師に自分がB型肝炎であることを告げたところ・・・
看護師:「その様な患者さんに対しては、当病院では食事療法になります。」
等と言われ、A4サイズのボードを見せられたのでした。
そこには食べて良いもの、ダメなもの・・・とそのイラストとともに記載されていました。
ちなみに食べて良いもの=魚(白身)・肉(極力赤味のもの)...etc
食べたらダメなもの=魚(赤身)・肉(脂身が付いているもの)...etc
 
え?こんな話、今までかかった医師から何も聞いていないよ・・・、
それに食べたらダメなものって私の好物ばかり・・・。(汗)
何だか不信にも思えたので、
私:「あの・・・、肝臓の専門医はこの病院にいますか?」
看護師:「いえ、肝臓の専門医というのは居ませんが、診察は内科になります。」
・・・との事でした。
札幌での元主治医からは、「必ず肝臓の専門医に診てもらいなさい!」と言われていた為、
診察せず見切りをつけ帰ったのでした。
病院が変わると治療の方針も変わります。病院の選択がいい加減であったら、
最終的に自分の身に振りかかってくるのです。
慎重に病院を選ばなくてはなりません。。。

そう言えば、札幌にいた時にこの様な事がありました・・・。
歯医者にかかった時の事です。初診の際に問診書みたいのを書かされ、
そこには『現在、治療中の病気はありますか?』みたいな質問があったので、
私は正直に『B型肝炎』と記入しました。
歯の治療が終わり、会計の時に歯科医が出てきて私に言ったのでした・・・。

歯科医:「あなたB型肝炎ですよね?B型肝炎は血液感染するのですよ。
私はワクチンを打っているので大丈夫なのですが、助手の女の子はワクチンを
打っていないので、感染する可能性があるのですよね・・・。」
私:「えっ?それは、次回から来ないでくれという事ですか?」
歯科医:「まぁ・・・、何と言うか器具を消毒するにも結構大変なのですよね・・・。」
(ブチブチきてました・・・。(−−# でも、あえて冷静に・・・)
私:「え!?器具を消毒していないのですか!? わかりました!ならばもう来ません!」
・・・と、待合室で待っている他の患者に聞こえるような大きな声で言い放ち、
その歯医者を立ち去ったのでした。
さすがに歯科医は気まずそうな顔をしていました。<ざまぁ〜見ろ!です。(笑)
病院といえども全てが良いというわけではないのです。




【 前向きな治療 】 − 1994.09 中旬 −

千葉県に引っ越してから1年が経過した1994年の時、当時27歳の頃でした・・・。
某大学病院にかかり、毎月血液検査を行い肝炎の状態をみてきましたが、
これと言って数値に変動はなく、常にGOT・GPTとも基準値の範囲もしくは、
ほんの少し高めで推移していました。
何の変化もなく時間だけが経過しているという感じだったのです。。。

主治医B:「B型肝炎の場合、30歳まで抗体ができないと、それ以降なかなかできずらい
のですよ。今は肝臓の数値は高くありませんが、インターフェロンで治療してみますか?」

(決して肝臓は悪くない状態なのですが、今後を考えた前向きな治療と思いました。)
私:「わかりました。治療をお願い致します。」

前向きな治療をするという事で、会社の了解を得た後、入院となりました。

主治医B:「インターフェロンでの治療を始める前に先ずは検査をします。
肝臓の組織の状態を見たいので『肝生検』を行います。
私:「ゲっ!アレをやるんですか!???(汗) どうしてもやらなくてはならないですか?
痛いんですよね、アレ!!」
主治医B:「えっ?そうですかぁ〜?」(笑)
私:「いや・・・、チョット嫌ですね・・・」(汗)
主治医B:「でも、インターフェロンを使う前にはした方が良いのですよ!」
私:「わ、わかりました・・・。」
アレか・・・、あの『必殺仕事人をやられるのか・・・(大汗)
忘れていた時にやってきたな・・・という感じがしました。
気分はすっかりブルーです・・・。
そして肝生検をする日がやってきました。
検査室に入ると、そこには主治医がいました。

私:「あ、先生がやってくれるのですか?宜しくお願い致します。」
主治医B:「大丈夫ですよ、私は上手い方なんですよ!」(笑)
私:「そうですか、良かったです。とにかく痛くしない様にお願いしますね・・・。」
主治医B:「ははは、分かりました。力まないでリラックスして下さい。」(笑)
わき腹を念入りに消毒をされました。
主治医B:「B型肝炎ウイルスより、雑菌の方が恐ろしいのですよね・・・。」
へぇ〜、そうなんだ・・・。雑菌が入るとイチコロか・・・。(汗)
そして、わき腹に油性マジックペンで「×」の印を書かれました。
どうやら「×の」部分に針を刺すらしい・・・。
部分麻酔を3〜4箇所、「×」印の回りに打たれる。チクリとするがギリギリ我慢できる程度です。

主治医B:「じゃぁ、いきます。」>
いよいよか・・・。

ズブ>ズブズブズブズブズブズブ>>>>>>

私:「うぐっ・・・」
思わず声が出てしまった・・・、い、痛い!!!
主治医B:「はい、終わりましたよ!」
私:「・・・」
(かなり ぐったり・・・)
主治医B:「そんなに痛かったですか?凄く敏感なんですね・・・」(汗)
オイオイ・・・。
上手いと言われる医者がやってもこんなに痛いのか・・・。
どうやら、この検査は私にはかなり向いていないらしい!
もうこの検査だけはやりたくない!絶対にやりたくない!!!

肝生検後は半日絶対安静という決まりになっています。

肝臓がある右側を上にして横になって、後は次の日の朝まで寝ているだけなのでした。


【 副作用 】 − 1994.09 下旬 −

薬には副作用が付きものです。
肝生検で良好な結果が出たので、インターフェロンでの治療となりました。
インターフェロンは過去に一度経験しているので、何の心配もしていませんでしたが、
これ以降の治療は、予想にもしなかった程、かなりキツイものになったのです。
体ではく精神的にやられたのです・・・。
入院中でのインターフェロン投与は微熱が出た程度で、特に何ともありませんでした。
インターフェロン投与開始から一週間程経過して・・・

看護師:「もう退院してもらいます。」
私:「えっ!?何で?? まだ、インターフェロン投与の最中ですよね?」
看護師:「はい、残りの投与は、外来で行ってもらいます。」
私:「そうなんですか・・・、でも大丈夫ですか?副作用とか出たりしたら・・・。
外来でやると言っても、毎日来るのですよね?仕事に出たら毎日外来に来るのは厳しいです。」
看護師:「インターフェロンは途中で止めるわけにはいきません。
副作用の件は何かあったら電話でも良いので直ぐに言って下さい。
外来に来られて一週間ぐらいでインターフェロンの投与は終わります。」
うぅ〜ん、そうなると毎朝、外来でインターフェロンを打ってから出社する事になるな・・・。
一週間連続で午前中半休を申請しなければならないのか・・・。
面倒な事になってきたなぁ・・・。(汗)

その夜、どうしても副作用の事が心配になってきたので見回りにきた看護に聞いてみました。

私:「あの、今やっているインターフェロンの副作用について詳しく聞きたいのですが、
わかりますか?」
看護師:「副作用ですか・・・、ちょっと待っていて下さい!良いものがありますので持ってきます!」
看護師はインターフェロンを作っている製薬メーカーの使用上の注意が書かれた紙を
持ってきてくれました。
売薬の箱の中に入っている良く見かける薄い紙と同じものです。
副作用の欄を見てみると、発熱、頭痛、脱毛、うつ・・・とすでに知ってる症状が書かれています。
・・・が、しかし、最後に 「ん!?」と思わせる信じられない症状が書かれていたのでした!(汗)

『自殺企図』

・・・何じゃ?この副作用は!?(汗)
ジサツキト?自殺しようとする事か???

私:「あの、コレって何ですか?自殺しちゃうって事ですか?」(汗)
看護師:「あ、そ、そうですね・・・」(汗)
看護師はヤバイものを患者に見せてしまったなぁ・・・とバツが悪そうにそそくさと去っていきました。

そして不安に感じながらも退院したのです。
2週間程度の入院でした。



【 副作用の恐怖を知る 】 − 1994.09 下旬 −

退院して感じたのだが、外の世界は刺激が多すぎる・・・という事です。
毎朝、病院に行きインターフェロンを体内に注入してから会社に出社しました。
考えてみたらインターフェロンは副作用が強い激薬なのです。
この激薬を投与しての日常生活の営みは自分をハイテンションにさせたのでした。
薬のせいと断言できるのですが、かなりの集中力が身に付きました。
半端ではない集中力!面白い程のハイテンション!
(冷静に考えたら、ここでかなり危険な状態に陥っていたのです。。。)
どの様な集中力があるかというと、本を全て斜め読みする事ができるのです!
300ページはあろうかと思われる活字ばかりの本を読みきるのに10分はかかりません。
全て頭に入るのです!
そして、もう一つの集中力というのが素晴らしい!
それは、『プチ・ニュータイプ』です!(笑)
ガンダムに出てくる先が読めるニュータイプのプチ版ともいうべきであろうか・・・(笑)
一瞬の先の出来事(3秒程度先の出来事)が予測できるのです。
分かりやすく言うと、ちょっと先の事を予知できる力が身に付いた・・・というものです。
アホらしい、馬鹿馬鹿しい・・・と思われるかもしれませんが、それだけ異様に神経が研ぎ澄まされ、
何にでも敏感すぎる人間になっていたのです。
例えば、車を運転している最中、路地を走っていると、
「ん?そこの脇道から子供が飛び出てくるな!」と直感し、その2〜3秒後に本当に子供が
飛び出て来るのです。これはマグレではなく、実際、何度も経験した事なのでした。
薬の副作用とわかっているものの、自分的にとってはもの凄く楽しい!と思えたのでした。(汗)
どんどん、どんどん、ハイテンションになっていく・・・。
神経が研ぎ澄まされていく・・・と同時に私自身の喜怒哀楽感情も激しくなりました。
笑う時は思い切り笑い、泣くときは思い切り泣く・・・、かなり危険な状態でした。。。
外来で3本目のインターフェロンを打ち込んだ頃の副作用でした。

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 正直、これ以降の出来事は書こうかどうか迷ったのですが、正直に書きます。
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日本史が好きな私は何を思ったか、自分が織田信長の生まれ変わりである・・・と
思い込むようになりました。勿論、薬の副作用です!(汗)
学生時代の友人にも、
「俺は織田信長の生まれ変わりだ・・・」等とほざき、
後から聞いたのですが
「アイツは頭がおかしくなった・・・」と友人の間で噂になっていたそうです。
(恥ずかしい話ですが、薬の副作用からくる狂言であることを再度ご了承下さい。)
今思えばこの時、友人には悪い事をしたと思っています。
織田信長は享年49歳でこの世を去りました。
私はかなりのハイテンションに達していた事から絶対に早死にする・・・という自覚が芽生え、
私も信長と同じ49歳までしか生きられない・・・と思い込んでいました。
もう時間が無い・・・、やる事はいっぱいある・・・・、という焦りが自分を追い込んで行ったのです。
こうなってはもう終わりです・・・。完全に薬に神経がやられてしまっています。
薬に支配されていたのです・・・。
学生時代、勉強もロクにせず、ファミコンで「信長の野望」ばかりしていたのが祟ったのでしょう。(^^;

5回目のインターフェロン投与で、かなりの拒否反応を起こしました。
外来の看護師は異様に気づき心配しましたが、あと残りの3回(3日)投与をしたら終わると
いうこともあって我慢して続ける事しました。
そして、その夜にとんでも無い事が起こったのです・・・。

当時、私には付き合っていた彼女がいましたが何だかんだで会う時間がなく
全く連絡を取っていませんでした。
お互い自然消滅でいいか・・・みたいな雰囲気になっていたのです。
でもハッキリとさせたい・・・という気分になり、彼女に電話をして別れを告げました。
普通なら失恋したという事で非常に悲しい気分になるのですが、
普段と違う自分は何の感情も無かったのでした。
そこで失恋したかのだから、何か悲しい音楽でも聴いてその雰囲気に浸ろう・・・と思い、
あえて悲しい気分にさせる曲を聴いたのでした・・・。
薬の副作用で神経過敏の状態の私はこの時の自分の意思に反して、
曲の悲しいメロディーに深入りし、自分でも信じられない程おいおいと泣き出してしまったのです。
泣き続け、泣き続け、止まらなくなったのでした・・・。
ヤバイぞ!と思う冷静な自分がいるのですが泣きが止まらない!!!(汗)
すると、信じられない事が起こりました!

自分の胸のど真ん中から『白い球体』がポン!と飛び出たのです!
「何じゃ?こりゃ???」
白い球体はモヤモヤしており、自分の目の前でクルクルとその場で回転していました・・・。
そうなのです、私の魂が身体から飛び出てしまったのです・・・。
今、冷静に考えてみると、薬の副作用からくる幻覚だったのかもしれません。。。
魂が抜け出た身体には私の意志が残っています。
そうなると、どうなるか・・・、魂が抜けた状態で自分は何を思ったかというと・・・


「くだらねー」

・・・という事なのでした。
魂が抜けた身体は、ただの肉の塊
生きている意味がそこには無く、生きている事自体が「くだらねー」と感じてしまったのでした。
そして近くにあった刃物、刃物といってもハサミでしたが、
切れそうなモノなら何でも良かったのでしょう、、、
即座にそれを取り、手首に当て、かっ斬ろうとしたのです・・・。

そう、
最悪の副作用 『自殺企図』です。

「ヤバイ、ヤバイ、、、」
運良く一瞬、我に返り、手に持っていたハサミをその場で投げ捨てることができました。

しばらく放心状態でした・・・。

完全に我に返り事の重大さに気づきました。
気分は今までのハイテンションの逆、
ズッシリと重いものが後ろから乗ってくる感じで、かなり落ち込む感じがしました・・・。
多分これは『うつ』状態ではないか???
「駄目だ・・・、限界だ・・・、、、明日、病院で全てを言って治療を中止してもらおう・・・。」

次の日、インターフェロンを投与する前に看護師に全てを話しました。
顔面蒼白になった看護師は、主治医を内線で呼び出しました。
数分後、慌てて主治医が走って私のところに駆けつけてきたのです。

主治医B:「大丈夫ですか!?」
(再度、事の成り行きを主治医に話しました。)
主治医B:「直ぐにインターフェロンは中止にしましょう!」
私:「はい。」
主治医B:「今からこの隣にある『神経内科』に行き診察して下さい。」
私:「神経?精神科ですか?」
主治医B:「いいえ、違います。軽いショックを受けられた患者さんを診察する内科です。
例えば、流産してしまいショックを受けた女性が診察する様なところです。
心配しなくても良いですよ。直ぐに良くなりますから!」

・・・と言われても、神経という名が付いた所に見てもらうのはとても心配でした。
「考えていても仕方がない・・・。全てを正直に話そう・・・。」

神経内科の医師はプロでした。
私の今までのキチガイじみた話を全て快く聞いてくれ、安定剤を処方してくれたのです。
5日後、再度神経内科の受診を受け、そのときにはすでにショックから完全に立ち直っていました。


最悪のパターンでした・・・。
この様なケースは極めて稀な事であり、勿論、インターフェロンで治療される方が
こういった副作用を経験する確率はかなり低いと思います。
(現在のインターフェロンは当時のものよりかなり改良されたと聞いていますし・・・。)

・・・という事で、この治療は私にとって 『完全に失敗!』・・・という結果になったのでした。



【 怠 け 】 − 2002.02 上旬 −

その後、B型肝炎の治療として特に何も行うことはありませんでした。
毎月通院して診察時に前回のGOT・GPTの数値を聞く、そしてまた採血をして帰る・・・。
特に数値に変動はないし、ウイルスも活発ではないため、
このまま様子を見るといった何の変化も無い状態が続きました。
1999年までの5年間は毎月、採血のために通院しているようなものでした。
良好な状態が続くという事で毎月の診察が2ヶ月に1回になり、
そして3ヶ月に1回のペースとなっていきました。

慢性B型肝炎で怖いのは『肝硬変になる事です。
『肝硬変になった肝臓は、癌ができる土壌と化す・・・』という事ですので、
肝硬変に移行しない様に定期的な診断が必要になるという事なのです。
しかし、B型肝炎ウイルスキャリアでありながら肝炎ウイルスが沈静化し
死ぬまで何事もなく人生を終える人も多く、言い方は悪いですが、
肝硬変に移行する確率が高いC型肝炎よりB型肝炎の方がまだマシである・・・
という事も良く耳にしていました。
そのうち「2〜3ヶ月に1回」の通院を自己判断で勝手に「3ヶ月〜半年に1回程度」に
してしまったのでした。。。

私は脂っこい食べ物が好きで、尚且つ、いつも米は大盛りを食べていました。
「脂は旨みだ!」・・・等とのたまい、毎日、基準摂取カロリーを大幅に超えていたのです。
運動は全くしない人間ですので、どんどん太り身長174cmにして94kgという
巨漢男に成長してしまいました・・・(汗)
破壊王 故 橋本信也みたいな体つきになっていたのです。
<最終的には、自分が破壊されたのですが・・・。(^^;
酒は晩酌はしない方なのですが、仕事上での接待や会社の同僚との飲み会で、
月に1〜2回程度酒を呑んでいました。
「まぁ、月1・2回程度の呑みで死ぬわけでもないし・・・」と思い、
飲む時は徹底的に飲み倒していました。(^^;
以前、札幌の専門医に言われていた、仕事が忙しい時は肝臓に我慢してもらう・・・
という言葉を自分の中で都合よく解釈し、会社の飲み会では肝臓に我慢してもらう・・・
みたいに考えていたのでした。
そんな暴飲暴食を続けていた為、肝臓に脂肪が付く『脂肪肝』と診断されました。
要するに肝臓がフォアグラ状態なのです。。。
GPTが100程度になっていましたが、これは脂肪肝であると、この程度の数値になるのです。
ダイエットしなければなぁ〜・・・等と思ってはいたものの、食生活を改善する努力を怠っていました。

何の変化も無いダラダラとした通院・・・。
今は有効な薬も開発され、様々な治療法も確立されていますが、
当時、インターフェロン療法に失敗した私にとって有効な手段はありませんでした・・・。
何もする事がなくなり経過観察のみ・・・という状況。。。


2002年より、ついに通院する事を止めてしまいました。



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