DS-20  


【 MOMOさん、ありがとう 】 − 2007.05 中旬 −

4月21日、MOMOさんが永眠されました。
MOMOさんは、私が癌になってから初めて出会った「癌友」であり、
心の支えになってくれていた親友です。
MOMOさんを追悼する意味で、彼女との出会い〜お別れまでの記録を残します。



■ 2005年11月−きっかけ− ■
私は肝細胞癌をテーマにこのHPを立ち上げました。
そしてHPにリンクをして頂けるサイトを探してネット上を徘徊していました。
当時、肝細胞癌のHPはあまり存在せず、あっても既にお亡くなりになっている方や、
ご遺族が故人を偲ぶ想い出として作られたもの等、当人が管理して動いているHPは皆無でした。
癌というカテゴリーでのHP運営は体力的にも難しく続かないものなのだろう・・・と解釈しました。
(患者さんのサイトはブログが主流だという事はその時点では気づいていませんでした。)
肝細胞癌という範疇の病ではリンクを貼ってくれる様なサイトは無いと判断し、
大きく「癌」というテーマでリンクをしてくれるサイトを探しました。
その時にMOMOさんのHP(ホームページ)の「進め!一人暮らし闘病記」を見つけたのです。
大腸癌だった彼女のHPは、医師や知人との会話のやりとりの部分もあり
「何だか、私のHPの作りに似ているなぁ〜・・・」なんて思っておりました。
しかも私と同年代(歳は1つしか離れていない・・・)。
読んでいくと
「このHP、面白いな!」(笑)というのが最初に受けた率直な感想でした。
こんな事を書くと感じ悪く思われますが、HPを読んで「面白い!」と言って頂けるのが
癌患者側(MOMOさんと私だけかもしれませんが・・・)からして
最高の褒め言葉だったりしたのです。
それまで検索して拝見してきたHPは、管理人さんが残念ながら
お亡くなりになっていたものばかりだった・・・という事もあり、
HP上でココまで冗談かませているMOMOさんはきっと元気なんだろう・・・
という思いで読んでいました。
しかし、そういった思いはつかの間、彼女が「余命1年半」を宣告されているページを読んだ時、
私はかなりのショックを受けたのでした。。。
それでも彼女は恐ろしい程のポジティブさを発揮している人です。
それは彼女のHPの「独り言」というコンテンツにある「奇跡の女」を読んでみるとわかります。
MOMOさんに立ち上げ始めたばかりの私のHPとリンクして頂ける様、メールを送りました。
次の日、
「こちらこそ、宜しくお願い致します。(_ _(--;(_ _(--; ペコペコ 」と、
何とも丁重な挨拶メールが彼女から届き、相互リンクとなりました♪
メールの中で私の住んでいる所を伝えると、何と近くに住んでいる!?との返信が
返ってきました。<私の家から車で15分程度の所に彼女は住んでいたのです。。。
それなら
「体調の良い時にでもお茶でもしませんか?」と何のためらいも無しに
メールてみたところ、返事はOK♪ 年明けにMOMOさんとお茶をする約束をしました。

■ 2005年12月−約束− ■
当時彼女は抗癌剤治療の真っ最中だったので私の方から近所まで車で行く事にしました。
MOMOさんからは、
「私の家に来て下さいよ。」とのメールが入りました。
しかし、MOMOさんは一人暮らしの独身の筈・・・、
「会ったことが無い男性をいきなり家に入れるとなると世間体としてもマズイのでは?」
返信しましたが、MOMOさんの家の近くにはファミレスなんぞ気の利いたものは無く、
あって焼肉屋・・・という事なので、焼肉屋は有り得ないでしょ?という事でした。
「いいんですか?大丈夫なんですか?彼氏に怒られないですか?」と何度もメールしたのですが、
「彼は私を女として見ていないので・・・(;;) 全然平気ですよ〜、気にしないで下さい!(^^)」
メールが返ってきました。( ̄□ ̄lll) <まぁ、これは冗談で返ってきたコメントですが・・・。(笑)
・・・という事で、お言葉に甘えて家にお邪魔する事にしました。

■ 2006年1月−出会い− ■
約束をしていた日が来ました。車でMOMOさんの家まで行き初対面。。。
想像とは違い、ずいぶん小柄な人だなぁ〜・・・というのが第一印象でした。
家にお邪魔し、 手ぶらでは何だったので
「つまらないものですが・・・」と、お土産を渡したところ、
MOMOさんが彼氏と初詣に行った時に私に買って来た・・・という事で
なんと「お守り」をくれました。お守りには、「健康」と書いてありました。。。
お守り画像はコチラ→

返って気を使わせてしまたのかなぁ?という感じでしたが有難く頂戴しました。(^^)
そしてお互い病気の事を気遣いながら会話をし始めました。。。
MOMOさん:「ファルモルビシンさんは、大きな手術をしたんでしょ?大変だったでしょう?」
という問いかけに
私:「ええ、傷口、すげ〜大きいんですよ!見ます???」(笑)
なんて冗談でふっかけてみたところ、
MOMOさん:
「見せて!見せて!」(目がキラリ☆)
おぉ、、、そうきたか・・・(笑)んじゃ、遠慮なく・・・という事で、
MOMOさんに私の逆T字型、41cm&約70針の自慢の傷跡を披露しました。(笑)
MOMOさん:「うわっ、凄いね・・・。」(しかし目はギラギラ☆☆☆)
後でよく考えてみたら、会って間もない初対面の女性に対し
10分もしないうちに腹をさらけ出すなんて・・・と反省しましたが、
それも今となっては良い想い出でとなっています。(^^;
MOMOさんは手術の傷を私に見せるわけにはいかないので(当たり前ですが・・・)、
鎖骨より少し下に埋め込んでいるポートの埋め込み跡を見せてくれました。
跡というか、すこしボコボコと盛り上がっている感じでした。
ポートを埋め込んでの抗癌剤治療は本で読んだ事があったので、
もの凄く大変な治療をしているのだなぁ・・・と理解できました。
お互いの趣味(釣り等)の事、これまでの病状の事、そしてこれからの事・・・と、
色々と本音トークが炸裂しました。(^^;

私は、癌になってから同じ癌の方と話すのがMOMOさんが初めてでした。
MOMOさんは、同年代で出合った癌患者というのは、私は最初だと言っていました。
何だか、やっとわかってくれる人に出会えた様な気がして余計な事をお互いまでベラベラと
話してしまい、会話はかなり盛り上りがりました。(^^;
同年代の癌患者同士でしかわからない雰囲気が会話を弾ませたのだと思います。
若い?うちから癌になって、お互い死を意識する立場での会話はとてもリアルさがあり
且つ、充実したものとなったのです。
MOMOさんからは、現在使用している抗癌剤を見せてもらったり、最初の手術が失敗だった事、
わかっていましたが本人から「余命1年半」という事を改めて聞いた時は
言葉になりませんでした。。。
自分なんてまだまだ序の口だな・・・すら感じました。
彼女を大切に想ってくれる彼氏(相方さん)の話題になり、彼が本当に心の支えになっている・・・
と聞きました。
私から
「癌になったけど、凄く良い伴侶に巡り会えたのだからMOMOさん幸せだよ!」
MOMOさんを励ましたところ、彼女は嬉しくて涙ぐんでいました。。。
「余命という医者の予想」なんかブッ飛ばし、できるだけ長生きして欲しい!と切に願いました。

リレー・フォー・ライフの事についても話をしました。
リレー・フォー・ライフはMOMOさんのブログを通じて知りました。
興味はあったものの、自分でも未だわからない点が多かったので、
お話を聞いてみたところ、まだ動き出したばかりで何も決まっていない・・・との事でした。
来月、4月末開催予定のプレ リレー・フォー・ライフに向けたCPSPの会議があるという事を聞き、
連れて行ってもらう事になりました。
MOMOさんと直接会話をされた方はわかると思うのですが、
彼女との会話は結構ブッ飛んでいるというか、話していてかなり楽しいのです。(笑)
そんなこんなで、お邪魔してからいつの間にか5時間も時間が経過していたのです!(汗)
何だか初対面ではなく昔からの友達の様な感覚でした。
これは誰に対してもオープンできさくな彼女の性格がそうさせたのだと思います。
その後、MOMOさんとは良き癌友になりましたが、良きメル友にもなりました。(笑)
メールの内容は非常にしょ〜もない内容でしたが・・・。(^^;

■ 2006年2月−CPSP− ■
プレ リレー・フォー・ライフに向けてのCPSPのミーティング場所は主に横浜でした。
MOMOさんは、抗癌剤の副作用や癌の痛みに耐えながら遠い横浜まで通っていたのです。。。
「それはちょっとマズイよ・・・」という事で、私が車でMOMOさんの家まで迎えに行き、
高速をぶっ飛ばして横浜まで行くことにしました。
勿論、MOMOさんはかなり遠慮したのですが
「家も近いんだし、そんな事は言いっこなしだよ!」
という事で、その後、毎回、CPSPの会議にはMOMOさんを乗せて私の車で行く事にしました。
住んでいる千葉県から横浜までは、車で1時間、渋滞して1時間半程度でしたが、
それは全く苦になりませんでした。
毎回、MOMOさんとのブッ飛んだ会話でかなり楽しく車中を過ごせたからです♪
MOMOさんの予定は日曜日に相方さんとのデートでした。
CPSPの会議の殆どが土曜日だったので、会議の帰り車中で相方さんと携帯電話にて
その日の健康状態の確認と次の日のデートの打ち合わせを軽くしていました。
相方さんから、電話ごしで
「ダーリンがいつもお世話になっています・・・m(_ _)mだって♪」と、
よくMOMOさんから伝言を受けていました。
これも良い想い出になっています。

■ 2006年4月中旬−花見− ■
MOMOさんより
「車でいつも送ってもらってお世話になっているから・・・。」という事で、
花見のお誘いメールが届きました。
相方さんとMOMOさんのお友達数名で上野公園で花見をしよう!という事でした。
相方さんとは初対面です!(^^)
MOMOさんからは、以前より
「うちのダーリン、変な人だから気にしないでね!」(笑)
言われていました。
相方さんの第一印象は、トヨエツ!???
を上からつぶした様な感じ(スイマセン・・・冗談です。)でした♪
まぁ、私もMOMOさんから似ていないのに「HGに似ている」と言われていましたし・・・(笑)
相方さんは、一見クールな感じに見えましたが優しそうな感じの人でした。
MOMOさんと相方さんの会話は、まるでメオト漫才を聞いている様な感じで
とても面白く、そして微笑ましかった印象がありました。
MOMOさんは、全員の分、食べきれない程のお弁当を朝早くから作ってきてくれていました。
とても美味しかったです。(^^)
この日TVの取材が入った程、上野の桜は満開でとても綺麗でした。
皆で、来年もまた花見をしよう!と約束をしました。
できることならしたい・・・でも、来年の春はどうなっているのだろうか?
もしかしたら、これが最後の花見になるのでは???と、彼女自身感じていたのかもしれません。
考えてはいけない事なのですが、そういった感じがひしひしと伝わってくる様でした。。。

■ 2006年4月末−プレ リレー・フォー・ライフ− ■
彼女のリレー・フォー・ライフに掛ける意気込みは並大抵のものではありませんでした。
このプレ リレー・フォー・ライフを成功させるか否かで、
秋に行う日本初のリレー・フォー・ライフの行方が決定するのです。
詳細は、 D-13 プロジェクト 【 プレ リレー・フォー・ライフ 】 をご覧下さい。
MOMOさんは、最後にリレーフォライフをしたい!と誰よりも強く想っていた事でしょう。
結果、プレ リレー・フォー・ライフは、大成功に終りました。
MOMOさんは、プレの1ヶ月程前より転移が見つかり病状はかなり進行していきました・・・。
癌という病の病状としては最悪なパターンを向かえていったのです。
同じ癌でも自分はすごぶる絶好調であるのに対し、友人が癌という病で苦しんでいる・・・。
何とも言えない複雑な心境でした・・・。
しかし彼女はいつも明るく、ましてや私の病状を気にかけてくれたのです。
自分がもの凄く苦しい状況というのにも関わらず・・・。
私にできる事といえば、CPSPの会議があれば負担を少なくする為に車を出して
サポートする程度の事や、くだらない内容のメールを送り彼女を少しでも笑わせるぐらい
な事しかできませんでした・・・。

■ 2006年5〜8月−リレー・フォー・ライフ準備− ■
日本初のリレー・フォー・ライフが9/2(土)つくばで実施する事が決定し、
その準備で忙しくなりました。
6月頃だったと思います。この頃からMOMOさんの痛みはかなり酷くなり、
ブログでも『背中の骨から肋骨にかけて鷲づかみにされて折られる感じ。内臓が熱くなった。』と
コメントされています。
私は癌になり手術後の傷の痛みは経験していましたが、癌そのものが神経を触る痛みは
未だ経験がなく、これを読んだ時は非常に心が痛くなりました。
痛み止めを強力にしながらも病状は進行し、7月、彼女は松葉杖を使っての歩行となりました。
「体調どうよ?」といつもの様にメールをしてアホな話に話題がそれまくり、
お互い爆笑できる楽しい時間を過ごすのがいつものパターンだったりしたのですが、
「痛みを止める為に薬を飲むだけで、癌に対する治療は一切していないんだよね〜。」
いう彼女から返ってきたコメントには返す言葉が見つかりませんでした・・・。
治療をしない・・・という事はどういう事か!?やる事が無いのか!?
あとは死を待つだけという事なのか・・・?非常に納得できませんでした。

この頃CPSPの会議は都内某病院の会議室を借りて行っていました。
CPSPの会議の時、彼女は松葉杖をつきながら出席していました。(凄い根性です。)
毎日、痛みに耐え忍び、CPSPの会議までは体調を調整して来る彼女の意気込みというものは
並大抵なものではありません。
端から見ていて、人より死を意識していた彼女は、
心の底からリレー・フォー・ライフに全てを託したい・・・という想いが強く伝わってくる様でした。
「私さぁ〜、ファルモっちがCPSPに入ってくれて本当に感謝しているんだよね!」
メールを貰った時には、自分も少しは役に立てているのかな?と感じました。
こういう事を言うと怒られるかもしれませんが、私にはボランティア精神なるものは
全く持ち合わせていないと思います。
私がCPSPに入って活動している・・・という事は、
MOMOさんの熱い想いに打ちのめされたから・・・と言っても過言ではありませんでした。

会議が終わり、MOMOさんが調子の良い時は帰りがけに何度か食事をした事がありました。
やはり一人暮らしですから帰ってから食事の準備というのも闘病中は大変だと思いました。
私がお勧めする穴場のラーメン屋に連れて行った事もあります。
MOMOさんは、非常に気に入ったみたいで後にリクエストを受けて再度行った店があります♪
前日まで体調不良で
「昨日まで2日間何も食べていないんだよね〜。」と言っていました。
結果、半分しか食べれなかったものの、「凄く美味しい!」と言ってくれた事が何よりでした。
その時は、本当に良かったなぁ〜・・・と感じていました。。。

■ 2006年9月−リレー・フォー・ライフ本番− ■
9/1(金)の晩、CPSPのスタッフは、つくばの宿舎に前日入りする事となりました。
相方さんもリレー・フォー・ライフに参加するとの事でしたが、仕事の為、行きは私がMOMOさんと
つくばまで行く事になりました。
道中、またアホ話で盛り上がり、つくばまではあっという間でした。
念願のリレー・フォー・ライフ当日、彼女は残念ながら体調不良の為途中で宿舎に戻りましたが、
夜の打ち上げには復活し飲みに出てきました。
打ち上げの席で名古屋のニコさんからMOMOさん宛てに千羽鶴が届き、
それを受け取ったMOMOさんの笑顔はとても輝いていました。
辛い闘病の中、リレー・フォー・ライフに全てをかけてきた事が報われた瞬間に見えました。

■ 2006年10月〜2007年1月−入院− ■
10月に入り、MOMOさんは痛みが酷くなってきたとの事で入院してしまいました。
聞くと、緩和病棟だという事で本人はショックを受けていました・・・。
私も非常に複雑な心境になりました。
なぜなら、「緩和病棟=死ぬ直前」というイメージが大きかったからです・・・。
それは誰でもそう思う事でしょう。。。
できるなら表向きは一般病棟でありながら、実は緩和処置を行う病棟という等の形で、
病院側から患者へ何らかの配慮をしてもらえないものだろうか???とも感じました。
緩和病棟に入院しなければならない・・・という事実に関して、
医療従事者側から察する以上に本人にとっては非常にキツイのものだという事を
理解して欲しいと痛感しました。

MOMOさんが入院している病院までは私の家から車で1時間半〜2時間の所にありました。
私が見舞いに行けたのはたったの3回。
今振り返ると、もう少し見舞いに行けば良かった・・・と後悔しています。
日曜日は相方さんとデートでしたので邪魔しちゃ悪いなぁ・・・と思い、
休みの土曜日の午前中に
「体調良かったら行くけど、どう?」とメールしてから
見舞いに行く事にしていました。
「大丈夫だよん、楽しみにしてるね!(^‐^)」とメールの返信があり、車で病院へ向かっている途中
「ごめん、体調が悪くなって面会謝絶に・・・(;;)」とメールが来た事もありました。(汗)
病状が病状なだけに、見舞いに行くタイミングも難しかったのです。

12月中旬、
「最後のクリスマスになるし皆でちょっとしたクリスマスをしよう!」
MOMOさんからお誘いがありました。
相方さんとMOMOさんの友人数名と病院の近くで遊ぶ事にしました。
少し前にリンパ浮腫や腹水が奇跡的に消え体調は以前より楽との事で安心していました。
しかしこの頃、MOMOさんは松葉杖から車椅子になっていました。。。
MOMOさんのリクエストで焼肉屋とカラオケにしました。
焼肉は、少なからずも食べることができたのですが、カラオケでは途中、体調が悪くなり
横にならないと辛い状況になった為、病院へ戻る事にしました。
帰りがけ、MOMOさんの友人から、MOMOさんは
「桜を見ることはできないだろう・・・」
主治医から言われたらしい・・・と聞き非常にショックを受けました。。。

年が開け、見舞いに行きました。
MOMOさんはカエルが好きなのでお見舞いにカエルグッズを買って行きました。
カエルグッズは友達から結構な量を貰っているみたいで溢れかえっていました。(汗)
私が持って行ったものは、勝手にファルモ3点セットと名づけチョイスしたものです。
一つは、カエルが蓮の上に座って釣りをしている硝子細工です。
テレビの隣に飾ってくれました。
二つ目は、カエルの形をしたメガネケース。
これはかなり喜ばれ、直ぐに使ってくれました♪
三つ目は、何だかワケのわからないアメリカのカエルキャラクターのフィギアです。
何とも言えない無表情な顔が気に入り、MOMOさんも気に入ってくれるだろう・・・と
選んだのですが、
「可愛くない・・・」という事で思い切り外してしまいました。(−−;
後で聞いたのですが、そのフィギュアに関して相方さんとこの様なやり取りがあったそうです。
MOMOさん:「このカエルの顔、全然可愛くないよねぇ!?」
相方さん:「え!?カエルって、こんなもんだよ。」
・・・と。(笑)
↑↑↑わたくし的には、かなりウケてしまいました。(爆)
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MOMOさんからは、相方さんと初詣に行ったおみやげという事でお守りを貰いました。
そう言えば、お守りを貰うのは、これで2度目(2個目)になります。。。
私が今まで再発して来なかったのは、貰ったこれらのお守りが効いていたのかもしれませんね。
大切にしようと思います。
1月中旬頃の事でした。これが最後の見舞いとなりました。

■ 2007年2月〜3月−最後のメール− ■
MOMOさんは、在宅看護という条件付で一時退院をしました。
毎週、相方さんも行っている事だし、通院もしているし心配はしない様にしていました。
今年に入ってから何度かメールはしていたものの、体調が悪くメールは返ってこない時の方が
多くなり、返って気を使わせてしまうだろう・・・と思いメールは控えていました。

3月中旬、腸閉塞の為、再度入院してしまいました。
3月末、自分の通院が終わり車で帰る途中、桜が咲いている事に気づきました!
MOMOさんは、主治医から「桜を見ることはできないだろう・・・」と言われていたので、
車を止め、携帯電話のデジカメで桜を撮影し、
私:「桜が見れないと言われていたらしいけど、見れるじゃんか!全然、大丈夫だよ!」
               
と、MOMOさんに久しぶり写メールをしました。
すると、直ぐに返信が返ってきました。
MOMOさん:「随分立派な桜だねぇ〓写真ありがとう(^-^)
・・・中略・・・
私しぶといからなかなか死ねないかも…(^^;)
最近担当医からさえも…寿命の話しはスルーされてる気がします…(;_;)」

(↑↑↑メール本文はそのままです。私の携帯に残っていたメール文をそのまま貼り付けました。)

数回メールのやり取りをし、また明日退院するという事で一安心しました。

しかし、4月上旬、再度入院となり、胸水がかなり溜まり非常に辛い状況だとの事でした。
もうMOMOさんの体は限界に達していたのかもしれません。
4月中旬、「進め一人暮らし闘病記」(ブログ)を見ると更新されていました。
コメントに唖然としてしまいました・・・。
何と、最後のお別れのコメントだったのです。
こういう事を書かなくてはならない本人の状況を考えただけで、
胸が張り裂けそうになる思いがしました。
多分、知り合い・友人から電話とメールが殺到していることだろうし、
ここはあえてブログにコメントするだけにして、そっとしておいてあげようと思いました。
限られた時間、少しでも長い時間、相方さんと楽しく過ごして欲しい・・・と願いました。

数日が経ち、久しぶりにとても天気が良かったので、MOMOさんにメールをしてみました。
私:「おはよう♪今日は久しぶりに外はポカポカだよ!ゆっくり休んでね。
メールの返信はいらないからね〜♪」

死を待つMOMOさんへ、適切なコメントが思い浮かびませんでした。
つまらないメールをしてしまったなぁ・・・と後悔しています。(汗)

■ 2007年4月末 −お別れ− ■
しょーもないメールを送った次の日の4/21(土)、私は薬を取りに朝一で病院に行きました。
午前中に病院が終わり、昼メシにラーメンを食った後、ガソリンスタンドに入り
車にガソリンを入れ洗車をしていました。
ガソリンスタンドの休憩室でコーヒーを飲みながら洗車が終るのを待っている間、
携帯電話に着信履歴があった事を確認しました。
着信には気づかず留守番電話になっていました。
伝言メッセージを聞いてみると相方さんからでした・・・。
周りの音がうるさく相方さんの伝言の殆どを聞き取る事はできませんでしたが、
「今朝・・・、MOMOが・・・」というコメントがあったので、残念な報告という事を察知しました。
しばらく呆然としていました。。。
給油と洗車が完了したので、会計を済ませガソリンスタンドを出ました。
スタンドを出てすぐに路駐し、相方さんへ電話をしました。
明け方にMOMOさんはお亡くなりになったとの事で、
「やっと辛い痛みから解放され、楽になったと思うので、良かった・・・」と語られていました。
MOMOさんは、自分が死んだ後は、ごくごく親しい人のみに連絡し、
葬儀もうちうちでやって欲しいと相方さんに告げ、連絡する人のリストを渡していたそうです。
聞くと、リストに載っている人は、友人数名と、シュウさんと私だけでした。
明日は友引の為、明後日にお通夜、その次の日に告別式を行うという予定を聞きました。
今、遺体はお通夜・告別式を行う斎場に安置しているとの事で、
斎場の職員に知り合いという旨を伝えれば、線香をあげさせてくれるとの事でした。
相方さんに斎場の場所を教えてもらい、MOMOさんの顔を見に行くことにしました。
斎場へ向かう途中、色々考えていました。。。
MOMOさんは、明け方4時過ぎに亡くなったという事は、
私が朝起きて、病院に行き、昼にラーメンなんぞ呑気に食って・・・と過ごしていた時には、
すでにMOMOさんは、この世に居なかった・・・という事になります。
何とも不思議な気分でした。。。
なぜなら、亡くなったという事はどうしても実感が湧かなかったからなのです・・・。
MOMOさんから
「私はしぶといから死なないよ!」(笑)・・・と良く聞かされていたからでしょう。

40分程で、斎場に着きました。
斎場の駐車場は、桜が満開でした・・・。
MOMOさんもこの桜を見ているのだろうか???
なかなか斎場の中に入る事ができず、15分ぐらい車の中で躊躇していました。
目の前にある桜があまりにも綺麗だった為、携帯電話のデジカメで桜を撮りました。
それをMOMOさんに
「ありがとう。安らかに・・・。」と写メールをしました。。。
               
勿論、亡くなってしまったMOMOさんがメールを見る事はできないのですが、
ありがとうを言いたかった、そしてこの綺麗な桜を見せてあげたかった・・・、
ただそれだけでした。。。
少し踏ん切りがついたので斎場に入る事にしました。

職員に友人と告げ、安置されている部屋へ案内されMOMOさんと対面しました。
会うのは3ヶ月ぶりでした。
遺体はまぎれもなくMOMOさんでした。ショックでしたが目をそらさず、
「よ〜ガンバった!ガンバったね!!」と声をかけてあげました。
MOMOさんは、とても安らかな顔で眠っていました。
昔、人間は死んだら終わりだ!と思っていたのですが、MOMOさんの顔を見ていると
人間、死んでも終わりなんかじゃないな・・・と感じてきました。
MOMOさんは笑ってお別れしたい・・・という心情でしたので、決して泣かない様に
私も微笑んで見送ってあげようと心に決め、線香をあげ合掌しました。

安置室を出て駐車場に向かう途中、

「まさか先程のメールの返信なんて来てないよな!?」

携帯のメールをチェックしてしまいましたが、返信はありませんでした。
有り得ない当たり前の事なのですが、その様な馬鹿げた行為をとったのも、
MOMOさんが亡くなったという事実を未だ信じる事ができなかったからだと思います。

4/23(月)、お通夜の日になりました。
その日、何故か私の左目は、原因不明の「麦粒腫」になっていました。
(麦粒腫とは、関東で言う「ものもらい」、関西で言う「めばちこ」の事です。
北海道は「めっぱ」、中部地方は「めんぼ」、九州は「めいぼ」だそうです。)
思いっきり腫れているので、泣いた後みたいな目になっていたのです・・・。(汗)
仕事を終え急いで斎場に行きました。
お経には間に合いませんでしたが、皆さんが居る時間になんとか間に合う事ができました。
MOMOさんに線香をあげ、顔を見てみると・・・、
( ̄□ ̄lll)!?? ナント、笑っているのです!
何て凄い人なんだろう・・・。
帰り際であったシュウさん達と会い、明日の告別式に出る事を告げ、
相方さんと話した後、再度、線香をあげに祭壇に向かいました。
祭壇の横には、MOMOさんが癌になる前の写真が数枚飾られていました。
そこには私が知らない健康なMOMOさんの姿がありました。
全て相方さんとデートをした時の想い出の写真らしく、相方さんからその時の模様を
聞き写真を拝見していました。
MOMOさんは、半分冗談ですが亡くなる前に、
「どうせなら30代で死にたい・・・」
言っていました。ところが位牌には享年四十歳と書かれていました・・・。
そうか・・・、こういう場合の年齢は「数え」なんだよな・・・。(汗)
ちょっとかわいそうだなぁ〜。(苦笑)等と相方さんと話し、線香をあげて帰りました。

4/24(火)、仕事を休み、9:00からの告別式に参列しました。
告別式が始まり、お坊さんのお経、お焼香が終わり、棺が前に出されました。
棺にお花を入れ、最後のお別れです。
私は、花の他に棺に入れたいものがあり、ポケットにあるモノを忍ばせていました。
それは、リレー・フォー・ライフの紫のリストバンドです。
晩年のMOMOさんは、リレー・フォー・ライフを生き甲斐として過ごされてきました。
このリストバンドは、リレー・フォー・ライフに参加した人しか持っていないもので、
リレー・フォー・ライフをやった証となるモノです。
リストバンドには、『RELAY FOR LIFE JAPAN 2006 HOPE』の文字が刻まれています。
リレー・フォー・ライフに全てを託し、そこから希望を見い出そうとしたMOMOさんに
ふさわしい文字が刻まれています。
これをMOMOさんの棺の中にそっと入れました。
一緒に燃やす事で私のリレー・フォー・ライフのリストバンドは無くなってしまいますが、
あの世でMOMOさんに着けてもらえれば、それはそれで良い事なのです♪
最後に親族の皆さんが棺に花を入れられました。
相方さんがMOMOさんに微笑みかけながら花を添えられた姿を見た瞬間、
ぶわっ・・・と涙が込み上げてきました。。。
MOMOさん:「あはは、ファルモっち何泣いているのよぉ〜!」(笑)
と聞こえて来ました(聞こえて来る様でした)。
私:「いやいや、違うよ、、、泣いてなんかいないよ!
ものもらいで目が腫れていて、泣いている様に見えるだけなんだよ!
そう、、、ものもらいなんだよ・・・。」(汗)


その後、火葬場に入り『今生のお別れ』となりました。
泣かないと約束したのにどうしても涙が溢れ出てきました。
でも、MOMOさんへは再度、ものもらいなんだ・・・と言い訳をしていました。。。
親族のご好意でお膳をご馳走になり、その後、骨まで拾わせてくれました。
骨を拾い終わり火葬場を出た後、MOMOさんはもうこの世に居ないのだなぁ・・・と
改めて実感が湧いてきました。
告別式が終わり一気に気が抜けました。。。


MOMOさんとは知り合って約1年半でしたが、友達の付き合いとしては、
かなり濃いものであったと思います。
後に相方さんより聞いたのですが、彼女も私の事を親友と呼んでくれていたそうです。
ブログに寄せられたコメントからも分かる様に、リアルで彼女に会う事ができなかった
人達からも大変好かれていました。
彼女がクローズアップされたNHKのリレー・フォー・ライフ特番の放送終了後は、
もの凄い反響でした。
これは私と同じく、皆さんも彼女の「生き様」に共感したからなのでしょう!
何度と振り返ってみても、彼女の「生き様」は本当に素晴らしいものでした。
これは誰もが認める事でしょう。

誰もが共感する生き様の根底には彼女の芯の強さがあります。
闘病しながらのサイト・ブログの更新は正直キツイ時があります。
特にMOMOさんの様な末期癌の場合は相当なものだと思います。
改めて闘病系のサイトを見回してみると、その多くは体調不良で更新ができず放置、
もしくは残念ながら途中で亡くなってしまわれているケースが多いように見受けられます。
しかし、MOMOさんは最後に皆さんにお別れの挨拶と感謝のコメントを伝え、
ブログを自らの手で閉めた!
・・・これは想像を絶するぐらい凄い事なのだと思います。
本当に強い人間でない限り、ココまではできないものだと痛感しました。
(果たして私にはできるのだろうか・・・と。)

彼女は最後までがんばり、桜を見てから逝きました。
これから毎年、桜を見る度に彼女を想い出す事でしょう。


MOMOさん、ありがとう。




             





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