DS-24  しぶとさ


【 元気でいられる事 】 − 2007.10 上旬 −

ナント、いつの間にか、このサイトが10万HITを超えておりました!Σ( ̄□ ̄lll)
これも一重に皆様方のお陰です。m(_ _)m

肝細胞癌摘出手術を受け、その後の病理検査結果報告の際に告げられた
癌再発の確率の高さに、私は
「そう長くは生きられないだろう・・・。」と覚悟をしておりました。
少しでも何かを残そうと、このホームページを立ち上げましたが、
まさか10万HITを迎えるとは思ってもいませんでした。。。

術後から2年8ヶ月が経過し、現在私の肝機能はかなり落ち着いています。
癌など再発する気配もありません!
医学上の症例では、私は既に死んでいるのかもしれませんが、
現在、医者が言っていた事とは真逆の結果で過ごせているのです。

思い起こせば、このサイトを開設し、様々な人達ちと出会いました。
ネットを通じて、そしてリアルの場でも皆様とお会いでき、楽しい時間を共有できた事は、
私にとって宝物になっております。
そういった事も自分の免疫力を上げ、癌の再発を防いでいるのだろう・・・と解釈しております♪
ありがとうございます。m(_ _)m

【超ノー天気なお気楽さ【皆様との交流現在服用中の
エンテカビル
この3つがあれば、肝細胞癌は再発せず、しばらく生きられそうな気がします♪

・・・という事で、これからも、しぶとく生き残ってやろうと思っています!(^^)/


そう言えば、先日、リレー・フォー・ライフ芦屋のNHK実況生中継でお世話になった
アグネス・チャンさんが、乳癌の摘出手術をされたそうです・・・。
実況生中継が終った後、アグネス・チャンさんと握手した
(正確に言えば強引に握手をした)ので
親近感があります。(^^;
早期での対応という事で安心しておりますが、一日も早いご回復を願っております。

現代において、どんなに医学が進歩しようとも、誰でも癌に罹る可能性はあるのです。
一番最良の方法は、早期発見で癌を叩く!という事です。

早期発見に勝るものはありません!
少しぐらいお金が賭かかっても、検診をする事をお勧め致します。
見つからなければ、それはそれでラッキー、
見つかったとしても、早期対応で更にラッキーなのですから・・・。





【 生まれ故郷で・・・ 】 − 2007.11 下旬 −

北海道の
優奈のママさんが、「北海道でもリレー・フォー・ライフを!」と活動をし始めました。
北海道と言えば、私の生まれ故郷・・・。
優奈のママさんが住んでいる所は、私の実家から比較的近く(正確に言うと隣の市であり)、
通院されている病院は、私の実家からナント車で10分もかからない場所なのです。。。

私は札幌市で生まれ、幼少時代を北海道内で過ごしました。
高校時代はロクに勉強もせずダラダラと過ごしていたにも関わらず、
卒業後は一丁前に「東京に!」と野望を秘め<本音は都会で遊びたかっただけですが・・・(^^;
関東の大学を受験したものの、高校時代遊びすぎたツケが回って全て全滅・・・。_| ̄|○
当たり前と言えば当たり前の結果でした。
当時18歳だった私は親のスネを齧り、東京の予備校に通わせてもらいました。
いわゆる浪人生活ってやつです。(^^;
サスガにこのままではマズイと思い、必死で勉強するものの、見事、三流大学に合格!(笑)
その後、更に親のスネを齧りまくり、4年間大学生として千葉県で過ごし、
北海道に帰る事なく、そのまま就職活動を行い、今の会社に入社しました。
就職した会社は大阪が本社で全国に支店がある為、
入社後すぐに営業マンとして札幌に配属命令が下されました。
好都合というか、生まれ故郷の北海道に帰る事ができたのです♪
しかし持病のB型肝炎が悪化し、営業に穴を開けた事から営業から外され、
千葉県で内勤業務を行う事となりました。
一年も経たないうちに逆戻り的に千葉県に戻り、現在まで住んでいます。

住めば都・・・的な発想か、田舎へはロクすっぽ帰りませんでした。
今の仕事も辞める気は無く、長男である私は親不幸者を継続・・・。
幼少時代、死んだじいちゃん・ばあちゃんからは、「長男のお前が墓を守っていくんだ!」と
田舎の長男としての生き方を散々言い聞かせられていたのにも関わらず、
実家の家業は弟が継ぐ事になりました。
私は親不孝は勿論、長男としての役目も果たさず今日に至ってる・・・という訳なのです。
その後癌になり、術後、親は「北海道に戻って来い。」と言いましたが、私はそれを断りました。
今勤めている会社は、有難い事に癌になった私を極力異動させない様、配慮してくれています。
北海道は不況が続き、ましてや私の田舎の経済状況はドン底を継続中なので、
今の会社を辞めると確実に収入が激減します。
今後癌が再発した事を考えると、お金が今以上に必要となるわけで、
ましてや田舎の病院が私と相性が合うのかどうか等、何の保障もありません。
現在通院している病院とは相性が良く、外科の主治医は最高の名医なので、
ココを離れる事は私が生きていく上で得策では無いと判断しました。

私は北海道に戻らない、いや戻れない・・・という事を親に告げたのでした。
益々、北海道に帰る事ができなくなったのです。。。
私は、先祖や親への期待に応える事ができなかった事から、
田舎の北海道に対して何だか後ろめたい気持ちがあります。
そんな私の生まれ故郷である北海道でリレー・フォー・ライフが開催される・・・。
ある意味、とても複雑な心境さえしました。

・・・とまぁ、私の田舎に対する想い等はど〜でも良いとして、
実行委員長である優奈のママさんは、現在闘病生活を行いながら活動されています。
ママさんは以前より署名活動や街頭演説等を行い、今後の北海道の為に・・・と
様々な活動をされていました。

来年は地元に根付く形でリレー・フォー・ライフの開催を準備されているのです。
非常に厳しい闘病生活の真っ只中でありながら、地元北海道の事を考え
命を賭けてリレー・フォー・ライフに取り組んでいる姿に、
私は同じサバイバーとして非常に心を打たれました!
また、半分田舎を捨ててしまった私にとって、それは尚更の事、
尊敬の念に値する事でもあるのです。。。


今の私にはネット上でしか応援できませんが、
リレー・フォー・ライフ北海道、そして優奈のママさん・実行委員会の皆様を応援したい!


       





【 大丈夫だよ 】 − 2007.12 下旬 −

12/22、都内某所にてとあるセミナーがあり、
はるちさんに誘われ☆よこよこ☆さんと行って来ました。
セミナーの内容も楽しかったのですが、主目的は
杉浦貴之氏(TAKA変酋長さん)がゲスト出演される
との事で、お会いしに行ったという訳です。

TAKA変酋長さんは、サバイバーの間では、かなり有名人ですので、
私如きがウダウダと紹介するまではありませんが、簡単に紹介させて頂きます。
TAKA変酋長さんこと杉浦さんは、1999年、28歳にして腎臓癌になりました。
しかも「未分化原始神経外胚葉性腫瘍」というかなりレアなケースでの発病という事でした。
医師からは余命半年、2年生存率は0%と宣告を受け、大変厳しい状況下におかれたのです。
壮絶な闘病後、元気になられ(2007年現在で)8年が経過、
全国を巡り、サバイバー達には勿論の事、多くの方達に勇気と元気、
そして「命の大切さ」を伝えられるメッセンジャーなのです!
同じサバイバーとして、私はTAKA変酋長さんを「超人」と感じます。
詳しくは彼のサイトをご覧下さい。
      ↓↓↓↓↓



ゲスト出演されたTAKA変酋長さんは、ご自身の体験から生まれた『大丈夫だよ』を歌ってくれました。
リレー・フォー・ライフでも聞いたことがあり、とても心に響く曲です。
会場でCDが販売されていたので早速購入し、ちゃっかりサインまで貰いました♪

<サイン会場にて・・・>
はるちさんは、以前つくばで、TAKA変酋長さんに挨拶をされて顔見知りでしたが、私は初対面でした。。。


私:「あのぉ〜サインお願いします。」(^^;
TAKA変酋長さん:「はい、いいですよ。」

私:「実は、つくばと芦屋のリレー・・フォー・ライフで歌を聞かせて貰らった事があるんですよ。」
TAKA変酋長さん:「あ、そうですか!それはテレビでですか?」
私:「いえ、生でです♪ 私も癌なんですよ。」
TAKA変酋長さん:「えっ!?そうなんですか?」
私:「ネット上では『ファルモルビシンと名乗っています。」(笑)
TAKA変酋長さん:「あっ、知ってますよ!」
私:「そうですか、ありがとうございます♪」<って、何が「ありがとう」なんだろう・・・(笑)
TAKA変酋長さん:「(サインに入れる「〜さんへ」の)名前はどうしましょう?」
私:「あぁ、、、ファルモルビシンでいいです♪」
TAKA変酋長さん:「え!?ファルモル・・・」
私:「ビシンです!」(笑)
これまで色んな経験をされているTAKA変酋長さんに、サインで抗癌剤の名前(ファルモルビシン)を書かせたのは、
多分私が最初であろう・・・。(^^;

サラサラサラ〜 サイン終了!


私:「また、リレー・フォー・ライフで歌って下さいよ!」(^^)
TAKA変酋長さん:「えぇ!そうですね。

私:「ありがとうございました〜。」(^^)

・・・と会場を後にし、我慢していたトイレを済ませて廊下に出ると、
はるちさん&☆よこよこ☆さんが、TAKA変酋長さんと立ち話しをしていました。
はるちさん:「最後に写真撮ってもらってもいいですかぁ〜?」
・・・と、例の『命』ポーズまでしてもらって撮影をしていました!(笑)
私:「あ、私もHPネタとして撮ってもいいですか?」<便乗
TAKA変酋長さん:「イイですよ♪」

・・・と、携帯カメラにてバシバシ撮影をした後、私のフェラーリで帰りました。
帰ったといっても、我が家ではなく「居酒屋はるち」へ直行です!(爆)
夜はTEAM MOMOの忘年会があり、名古屋から
爆笑!ニコファミリー
と、みなづきさんが
駆けつけてくれ、大盛り上がりでした。(^^)/

( はるちさん、ひろっちさん、いつもお邪魔してスミマセン。 m(_ _)m
 )

はるちさんは、ご自身のブログに書かれている様に、来年早々、腎臓の手術を控えられています。
でも、私からその件に関しては、あまり詳しく聞きませんでした・・・。

何故なら、大丈夫だと信じているからです!
しかも、TAKA変酋長さんもCDに「大丈夫だよ!」とサインしてくれたので確実に大丈夫なのです♪
ちょっと遅くなるけど、元気になったら3月ぐらいに新年会をやりましょうね!(^^)

『大丈夫だよ!』


            



今夜は、CaRAVANのライブが横浜であるので行ってきます!
蓮さんの「生きザマ」を拝見しに参ります。





【 生きザマ拝見! 】 − 2007.12 下旬 −

12/23、横浜市某ライブハウスにて、今年最後のCaRAVANのライブがありました。
ボーカルのCaoruさんこと蓮さんは、十数年間闘い続けているサバイバーです。
現在、体調がかなり厳しい中、ライブを決行されました。
昨年、このHPの記録に残しましたが、彼女の「生きザマ」というものに私はもの凄く共感しています。

彼女は、ご自身のブログで、
自分の体がどんだけしんどくなるか見るために 決行することにした。
倒れたら 救急車で病院に運んでもらえばいい(笑)
・・・と語っています。

凄いですね。。。
私は、今回のライブで彼女の「生きザマ」を拝見できる・・・とライブハウスに向かいました。
会場は、座席を追加する程の満員御礼!
ライブは前半20分、15分の休憩を挟み後半30分と、2つにパート分けされていました。
バンマスのミッキーさんことバグースさんが言っていましたが、
15分の休憩中に蓮さんは酸素吸入をされていたとの事です。(汗)
座席の最前列にはドクターも控えていました。
そんな過酷な状況の中、彼女は自分の生きザマを我々に披露してくれたのです。
CPSPのメンバーの中に
「蓮さん、大丈夫そうじゃん!」とコメントをされる方もいましたが、
いや、そうでは無い・・・、きっともの凄く辛い状態なのに、それを表に出さないだけなんだ!
本当は、かなり辛いんだ・・・と私は感じていました。

彼女の歌う姿を拝見して、一言で言い表すならば、
『壮絶!』・・・という感じでした。
他に言葉が思いつきません。。。
その壮絶さの中に、私は彼女が言っている「生きザマ」を垣間見る事ができたのです。
幾度となく、涙が流れそうになりました。。。

ライブが終盤にさしかかったところで、数名の観客が蓮さんに花束を渡しました。
私も蓮さんに花束を持ってきたので渡しました。
蓮さんは感激され、
「ファルモっち、いつもありがとネ!」と言い、強く手を握りしめてきました。
それに応え、私も強く握り返したら、蓮さんは更にもっと強く握り返してきたのです!
Σ( ̄□ ̄lll)  もの凄い力でした・・・。
体調が悪いのに、元気な私より力強い!!
蓮さんの力強さを感じ、
「うん、これなら大丈夫だ!きっと大丈夫だ!!」と確信したのでした。

写真を撮りましたのでUPします。
ご覧下さい。


                   
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蓮さん、素敵な歌と「生きザマ」をありがとう!

                                 
Merry Christmas



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